なぜ古典が大事か?
古典にはお金で買えない価値があるから。
そこには数値化することができない芸術的、美的価値があるから。
資本主義が高度に進み、あらゆるものが商品化される現代では欲望を満たすそうと思えば色々なものが安価に手に入りやすい時代になった。
ユーチューブで気軽に色々な無料の動画や音楽を楽しむことができる。
amazonでは会費さえ払えば、1億曲以上の音源に触れることができる。
海外旅行も手軽になったし、少し美味しいものを食べようと思えば、回転寿司でもファミレスでもそこそこ美味しい。
しかし、古典を作り出したした人はそんなお金で買える価値を目指して古典作品を作ったのではない。
永久不滅に価値のがあるのが古典だと思う。
作者の魂の躍動を感じることができる生命力のある作品こそ古典だと思う。
古典の価値は資本主義が作り出す均質的で数量化可能なお金に通訳できる尺度では測れない。
それは一流の演奏者が命を削った努力の果てにしかつくりだせない演奏会や一流のシェフが精魂込めて作り上げた料理のように、もちろんあえてお金で価値を表現した時も高値がつくけれども、それを作り上げるだけの文化的土壌は、経済合理性的な思考からでてこない。いわば常人からみればキチガイじみた作品へのコミットメントが美的創造を可能たらしめている。
私が古典文学を読む文化を広めたい動機は、すぐれた文化を享受する感性こそが人類の平和的繁栄の土台になると考えからだ。
それはなんでも手軽に手に入ること、なんでも商品化してしまう資本主義的な価値観に抵抗するための文化的砦だ。
優れた情緒的な基盤こそ未来の人類社会の土台に据えられるべきだと私は思う。
人生の意味や生き甲斐も、豊かな感性の中にこそ、自然と立ち上がってくるのではないだろうか。