Klara and the Sun、洋書マラソン6冊目
読書期間
2024年1月から3月18日
ページ数は340ページ。
英語の小説としては読みやすい方だったと思う。
一部、難しい表現は確かにあったが。
例えば、遺伝子編集の手術を受けた子供を表すliftedを和訳版では「向上処置」としている。「向上処置」はこの小説の中で出てくる専門用語だが、この点だけに注目すれば日本語版の方がわかりやすい。
しかし、全体としてみれば原語の英語で読む方がストーリーに感情移入しやすいと感じた。
本の要旨は以下の通り。
全体をつらくぬ問いは、
ロボットが完全に人間を学習し、人間になることは可能か?
愛をロボットが学習して、コピーすることは可能か?
愛とは何か?
物語の前半では、ロボットが人間を完全に学習することは可能であるとアーティフィシャル・フレンドのクララは断言する。
物語の主人公はジェジーという病弱の女の子。
その女の子の家に買われたロボットのクララ。
クララは完全にジェジーを学習すれば、ジェジーそのものになることが可能であると当初は考える。
ジェジーを世界に一人しかないジェジーたらしめるユニークな特性はあるのか?
もしあるとしたら、それをロボットが学習し、コピーすることが可能か?
当初、クララはそのようなユニークな特性は存在せず、あらゆる人間の特性はロボットが学習可能であると考える。
そして、物語はラストシーンへ。
物語の最後に、その考えは誤りであったとクララは考える。
周囲の人がジェジーを愛する気持ちにこそ、ジェジーをジェジーたらしめる何かがある。
その周囲からの愛情は決して、コピーしたりできないものだ。
だから、ジェジーをジェジーたらしめるものは、ジェジー自身の中にあるというよりも、
ジェジーの周囲にある。
愛とは何か?
ジェジーの中にではなくジェジーと周囲の人との関係の中に見出されるものだ。
ロボットのクララはそう結論して物語が終わる。