古典文学読書会のブログ

2019年より古典文学の読書会を開催しています。 毎月第4金曜日の19時から21時でオンライン開催。 問い合わせは、classical.literaturesアットジーメルまで

『金閣寺』三島由紀夫

2026年6月の読書会では三島由紀夫の『金閣寺』を扱った。読書会の議事録を公開する。

 

・金閣寺を放火する主人公、溝口青年の人物造形

 

吃音にコンプレックスを抱く住職の息子。父と母との関係にしこりあり。他者や社会と隔たりがある。成長過程の中で、心の拠り所がなかった。信頼できる人もいなかった。それを見つけられなかった。そして、悪友の柏木のほうによっていく。

 

・柏木は女性の目から見て魅力的だと思うか?

 

足に障害を持つ柏木は、女性から見て魅力的なのであろうか。

 

柏木は自分の障害を利用するかのようにして、女性の心の中に入っていく。

 

悩んでいる女性の心の中に入っていくのが得意なのではないか。

 

一方で、柏木も登場する女性たちも、実際の女性と言うよりも、何か三島由紀夫の精神論の中で作り出した概念を象徴させているに過ぎないのではないか、と言う意見も出た。その意味で、実際の人間に近いと言うよりも、小説の中に登場する道具に近いと言うような印象を持った、と言う意見もあった。

 

・実際に金閣寺放火事件が存在した

 

三島由紀夫の小説は実際にあった金閣寺放火事件の取材を経て書かれている。実際、三島由紀夫の小説は完全なるフィクションと言うよりも実際にあった出来事をベースに作った作品が多い。他方で設定から完全に想像力だけで作り上げた『鏡子の家』のような作品は、高い評価を得られていない。その意味で、三島由紀夫は想像力には欠けるところがあったのではないか。

 

・三島由紀夫の女嫌いが見て取れる

 

この作品に出てくる女性を総じて良く書かれていない。

 

三島由紀夫の女嫌いが見て取れるのではないか。

 

・男性の登場人物の中では、特に柏木を三島由紀は書きたかったのではないか

 

主人公の溝口とその悪友である柏木が対照的に書かれている。

 

溝口は吃音があり、それがコンプレックスとなり、友人関係や恋人関係を作ることができない。

 

対して、柏木は、足に生まれつき障害があるが、その障害を利用して友人関係や恋人関係を作っていく。

 

また、鶴川と柏木と溝口の三角関係も注目に値する。

 

男性登場人物3人は三角関係になっている事を留意するべきだ。

 

また、溝口と柏木の関係は、まるで三島由紀夫と太宰治の関係を映し出しているようにも思える。

 

太宰治は女にとてもモテたが、三島由紀夫は女にモテなかった。

 

もちろん、三島由紀夫は同性愛者であったこともあろうが、太宰治の方が女性にモテたイメージがある。

 

 

・尺八、お花、音楽

 

小説の中で出てくる芸術として、尺八、お花、音楽などがある。

 

共通しているのは、どれも枯れて残らないもの。

 

金閣と共に滅びることを望んだ溝口らしい時間芸術ばかりだ。

 

また、尺八に関して言うと、溝口は吃音があり、喋ろうとすると吃ってしまう。

 

自分が言いたいことがあった時も吃音により声は遅れてしまう。

 

笛を吹くことによって、音楽に感情をのせることで、最後は感情と音が一致していった。尺八はそのように解釈できる。

 

・戦乱と不安が美を富ますと言う考えがある。

 

京都は応仁の乱以来、激しい戦乱を経験していない

 

戦乱や恐怖がないと、美が美として存在しないという考え方が三島の中にはあったのではないか。

 

・小説の中で金閣寺の美しさは、いろいろな観点から語られている

 

金閣寺の美しさの描写に一貫性があるわけではない。

 

戦争で金閣寺が空襲により灰になることを想像し悲劇的な美しさを増したという描写があるかと思えば、室町時代から500年以上にわたって続いているその永遠性や一回性に美しさを求める描写もある。

 

 

・人間が何に価値を求めるか。

 

古代ギリシャ的に言えば、真、善、美の3つは、価値あるものとして考えられてきた。

 

真とは、真理のことであり、学問、サイエンスの領域である。

 

善とは、政治の文脈などで出てくる価値であろうが、非常に定義が難しい。ある意味では、トランプもプーチンも善を求めて戦争に至ったとも言える。伝統的には宗教の領域とも言える。

 

美とは、これ、また難しい概念である。実は、救いは美にあったりもする。社会の中で挫折した人間は、美に救いを求めていくのではないか。成功者が美に行くと言うよりも、挫折したからこそ美に引かれていくと言う側面があると思う。

 

三島は、美が美であることに耐えられなくなったのではないか。

 

美は、真であり、善である必要があると思い始めると厄介なことになる。

 

 

・三島由紀夫の京都の描写が秀逸

 

京都出身の参加者から、三島由紀夫の京都の描写が大変優れており、情景が浮かんでくるとのコメントがあった。しかし、ラストのシーンで金閣寺を放火する場面に関しては、空虚な言葉の羅列に聞こえてしまい、情景が浮かんでこなかった。

 

・三島由紀夫が文章芸術としての小説で目指したものとは?

 

 

この小説の主人公は、ラストのシーンで金閣寺を放火して物語は終わる。

 

金閣寺こそが、虚無の根源であったと言うラストの描写にもあるように、結局金閣寺が美しいものであるのは溝口、本人が感じ取った体験から来るものと言うよりも、入り口において溝口の父によって教え込まれた、他人から取り入れた考えであり、その考えが、溝口個人の主観の中で、増幅していき、美の観念に昇華していったのであろう。であるからこそ、金閣寺という対象は、内容のない虚無そのものであったというラストの描写になるのだろう。

 

 

 

 

 

 

溝口の人生の中で何よりも重要であった美しい金閣寺とは、自分の勝手な思い込みの産物に過ぎないと言うことになってしまうが、これは普段我々が何かを美しいと思う時に感じる体験ベースの美とは違い、単なる洗脳のようなものだと言うオチになっています。

 

三島由紀夫が言いたかった事は、このようないびつな美の概念なのだろうか?

 

そんな事は無い。

 

おそらく、三島由紀夫は、文章芸術としての小説というものの、新たな地平を切り開きたかったのではないだろうか。

 

それは言うならば、音楽と言う芸術に関して、ベートーベンやモーツァルトを批判的に受け止めて、ドビュッシーが出てきたように、また絵の分野に関して、印象派を乗り越えて、ピカソが出てきたように、演劇の分野にモリエールやラシーヌが出てきた様に、新しい文章芸術の地平を三島由紀夫を作ろうとしたのではないか。

 

それは言うならば、稀に見る語彙力と描写力に裏打ちされた美しい文章で読むものを魅了する美しい小説と言う芸術の地平を切り開くと言うことを目的として小説を書いたのではないか。

 

であるが故に、三島由紀夫が作り出したかった文章芸術における美とは、金閣寺の主人公の溝口が、人生の中で悩み、自分の主観の中で勝手に作り上げたいびつな形の美と言うよりも、そのストーリー全体を奏でる言葉の一つ一つの中にある描写の美しさあったり、読んでいる人が、思わず美しいと、思わずにはいられない美しい言葉の配列などにあるのではないか。三島由紀夫は目的論的にこのように意図して文章芸術の新しい地平を切り開いた節があり、これは三島由紀夫にしかできなかった芸当だろう。

 

『仮面の告白』三島由紀夫

2026年3月の読書会では三島由紀夫の仮面の告白を扱った。読書会の議事録を公開する。

 

・『仮面の告白』は三島由紀夫の正直な告白なのかそれともフィクションなのか?

 

『仮面の告白』が三島由紀夫の正直な告白なのかそれともフィクションなのか。長年論争があるようだ。

 

実際、読書会の参加者でも意見は、50 :50に分かれた。

 

『三島由紀夫 悲劇への欲動』という岩波新書で、三島由紀夫の評伝を書いている佐藤秀明によると、三島由紀夫の人生とこの本で書かれている内容はかなりの程度一致するようだ。

 

対して、『仮面の告白』の内容は基本的にはフィクションであり、本心を反映してはいないと言う説もあるようだ。

 

正直な告白とは思えないが、この本は、凄まじく頭の良い人によって書かれた本であると言う意見も出た。

 

 

また、総論として、三島由紀夫は姓への囚われをブレイクスルーできなかった人間、

 

3行で書けることを30行を使って書くことができる華美な文章を巧みに作り出すことができるレトリックの達人と言う意見などが出た。

 

 

ちなみに、1970年代前半のエリートは、全般的にリベラル、左寄りよりの人が多く、三島由紀夫を読むと思想が悪くなるからということで読まれないことが多かったらしい。

 

 

・堕落することへの憧れ

 

 

三島由紀夫は祖父も父も東大法学部出身のエリートであり、本人も東大法学部から大蔵省の官僚になったエリートである。

 

そんな上流階級出身の人間だからこそ、下流のへの憧れがあるのではないか。

 

だからこそ、糞尿を運ぶ汚穢屋(おわいや)に思いを抱いたのではないか。

 

・『仮面の告白』には、家族に関する描写がほとんど出てこないのはなぜなのか?

 

この本の中には、家族に関する描写がほとんど出てこないのはなぜなのか?

 

それこそが、この小説が正直な告白をベースにしていないと言うことの証拠ではないか?

 

それに対して、以下のような返答があった。

 

三島由紀夫は家族が嫌いだったのではないか。家父長制をベースにした家族に対して、彼は違和感を持っていた可能性がある。

 

また、細身で体の弱かった三島は、肉体に関してコンプレックスを持っており、親からもらった肉体と言うものに対する劣等感と言う観点からも、家族と距離を感じていたのではないか。

 

そして、自身の肉への拒絶感から、その対極にある観念の過剰、そしてその究極的な地点にいる天皇と言う観念に向かっていったのではないか?

 

また、以下のような意見も出た。

 

まず前提として、同性愛者として行き生きづらさの問題は、昭和の時代を生きた人間にとって重い問題であったと思われる。現代でこそカミングアウトという文化も一部でてきたが、この時代における同性愛は、とても重い問題であったのではないだろうか。

 

 

であればこそ、家庭内では、異性愛者として振る舞うことが、暗に期待されると思うので、同性愛者としての想いをひた隠しながら育ったものは、家族と距離を感じるのが自然なのではないか、と言う意見も出た。

 

昨年の大河ドラマの蔦屋重三郎の話などにも出てきたが、江戸時代においては、同性愛は、いわば公然と行われていたかもしれないが、対して、昭和の時代では同性愛者の社会的立場は低いものであったと思われる。

 

 

また、三島由紀夫は小さい頃、祖母によって育てられた。そのことも彼の家族観に影響与えているのではないか。

 

ちなみに、同性愛を描いた有名な作家として、オスカーワイルドが挙げられる。

 

 

・冒頭のドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の引用の意味することは?

 

 

『仮面の告白』は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のドミートリーの言葉の引用から始まる。

 

以下、引用の一部である。

 

“聖母(マドンナ)の理想を懐いて踏み出しながら、結局悪行(ソドム)の理想を懐いて終わる、、”

 

 

ソドムの話は、旧約聖書の創世記に出てくる。同性愛のために神の怒りを買い、村が滅ぼされてしまう話だ。

 

『仮面の告白』の主人公の私はまさに同性愛的(ソドム)な傾向から人生の生きにくさを感じている。

 

この小説の最後で、同性愛者の私の問題は解決されることなく、物語は終了する。

 

冒頭のカラマーゾフの兄弟の引用との接点を考えると、結局同性愛者は救われないんだと言うことが、冒頭の引用と小説の結末のシンクロする点ではないか。

 

 

つまり、同性愛者は救われない。救いはないことを表現したく、この冒頭のカラマーゾフの兄弟の引用が挿入されているのではないか。

 

 

また、この引用の1番最初は、美についてのドミトリーカラマーゾフの見解が語られている。

 

小説『仮面の告白』の中における美とは何かと考えれば、それは、汚穢屋であり、裸体に弓矢が刺さった聖セバスチャンであり、同性愛である。

 

そんなソドム的世界の中に美しさが存在することを巧みなレトリックにより表現したのがこの小説なのではないか。

 

その意味で、ドミトリーカラマーゾフによる、美とは何かと言う問いに対して、小説の中で答えが提示されていると言える。それはソドムの、つまり同性愛的な世界での欲望の対象のことだ。

 

・グロテスクな表現の数々

 

小説の中で、グロテスクな表現を色々な場面で見ることができる。

 

例えば、生きている人間を気絶させて、お皿の上に乗せて、そしてナイフとフォークで生きたまま食べ出す場面が描写されている。当然、血が吹き出すわけであるが、非常にグロテスクな場面だ。

 

 

稀に見るグロテスクな表現であり、これは意図的にマーケティング効果として、つまり本を売るためのレトリックの1つなのではないかと言う意見が出た。

 

 

・戦争中の安定と戦後の不安定

 

戦争中の安定と言う表現が出てくる。

 

戦争が起きているのに安定していると言うのは、主人公の私の精神状態のことだろう。

 

男性でありながら、男性を性的な対象として見ている同性愛者である私が、園子と恋愛関係にある。戦争中は、遠距離恋愛を余儀なくされた。

 

遠距離恋愛であればこそ、自分の同性愛的傾向が露見する心配もないし、コミュニケーションが手紙のやりとりに限定されているうちは表面的にうまく振る舞うことも可能だ。

 

また、戦争中は、絶えず死の可能性にさらされている。明日死んでもおかしくない状況であるからこそ、女性との恋愛をしなければいけない重圧から逃れることもできる。

 

であるが、故に、戦争後の不安定と言う表現もまた出てくる。

 

 

戦争中は、徴兵を避けるように努力したり、必ずしも死ぬことへの欲求だけが存在していたわけではなく、抵抗感もあったことが書かれている。

 

対して、戦争後はより強く死への憧れが、増大していったと思われる。

 

 

・三島由紀夫の割腹自殺について

 

国宝と言う映画が昨年の2025年に大ヒットした。

 

演じることでしか生きることができない歌舞伎役者の話だ。

 

芸術家は芸術家としてしか生きることができない。

 

その意味では、三島の最後は、彼の巧みな美しい文章による表現と同様に壮大で華麗なパフォーマンスの一環であったと言うふうに考えることもできる。

 

文学学者が文学者として死んでいった。文学者は、文学者としてしか生きられない。芸術家は芸術家としてしか生きられない。それは演じることでしか生きることができない歌舞伎役者の話にも通じるのではないか。

 

 

そこまでの表現が可能になってしまうほどの凄まじい才能に嫉妬すら覚えると言う意見も出た。

 

魯迅『阿Q正伝』

2026年2月の第81回読書会では魯迅の『阿Q正伝』について議論した。読書会議事録を公開する。

 

・魯迅の『阿Q正伝』が書かれた当時の時代背景

 

 

中国では1911年に辛亥革命が起きて清朝が倒れ、中華民国臨時政府が樹立された。

 

孫文が臨時政府のトップにたったが、軍事権を持っていなかった。

 

1912年に軍隊を掌握していた袁世凱が皇帝となる。

 

その後中国は、軍閥が跋扈する不安定な時期に突入する。

 

日本は中国に21箇条の要求を突きつけて、本格的な中国侵略が始まっていく。

 

日本に留学していた魯迅は、日露戦争の幻灯(マジック・ランタン=スライド投影)を見物していた中国人たちのあまりの無関心ぶりに落胆し、中国の西洋医学のレベルを上げるよりも、中国人の精神を変革する必要があると考え文学を志した。

 

魯迅は、中国文学史の中で、いまだに際立って重要な人物と位置づけられており、北京には魯迅博物館がある。

 

このような現在にまで至る魯迅の名声は、

 

歴史上初めて、西洋的なリアリズム文学を中国に紹介したことと

 

毛沢東が魯迅を称賛し中国共産党における最重要人物である毛沢東の承認を受けたことに依る。

 

 

・魯迅は阿Qという人物を通して中国人の愚かさを訴えている

 

阿Q正伝に出てくる阿Qという主人公はとても愚かな人物として描かれている。

 

彼は貧しく生活が不安定で、友人も家族もいないような人物であるが、

 

どんなにいじめられても、最終的には心の内で相手を見下す。

 

どんなに客観的に負けていても、自分の心の内では相手に常に勝利している悲しい人物が阿Qだ。

 

魯迅は、阿Qと言う人物を通して、このままでは中国はダメになってしまうと訴えているのではないか。

 

ちなみに、魯迅の小説はリアリズム小説としては、当時の日本の作家と比べて決してレベルが高いとは言えない。志賀直哉などの方がレベルは高いようにも思える。

 

・過去40年で中国ほど変化した国はない。

 

中国と過去40年にわたってビジネスをやってきた参加者から中国ほど変化した国はないと言う話を聞いた。

 

 

1978年の段階において、中国の一人当たりGDPは約100ドルであった。

 

中国に詳しい人間でも、中国が今後途上国から先進国になっていくと言うことを断言していた人間はほとんどいなかった。

 

 

大躍進政策などで、大量の餓死者30,000,000人を出すなどし、失策が続いた。

 

1989年の天安門事件では、公式な統計ではないが、数万人規模の死傷者が出たと予測されている。

 

中国の人権弾圧は国際的な大非難を呼んだ。

 

日本は比較的早い段階で、中国の人権問題と経済的な交流を分けて考え、隣国と言うこともあり、ビジネス上の交流を深めていった。

 

2000年に入ると中国は世界の工場となり、2010年においてはGDPで日本を追い抜いた。

 

過去40年で、これほど変化した国もない。

 

もちろん、田舎に行けばまだまだ貧しいし、経済格差の問題は常に存在している。

 

 

中国の長江中流域の三峡(さんきゅう)ダムの建設の際は、周辺住民100万人が移転した。

 

 

政治方針に対して抵抗する手段がないと言うこともあるのかもしれないが、このような規模の大きな変化が起きるのが中国だ。

 

中国の勢いがついたときの変わり方は凄まじい。

 

また、中国は、欧米などに比べて分析するのが難しく、その全体図を把握するのは極めて困難である。

 

また、台湾人とビジネスで交流したこともあったが、付き合ってみると、実態としては意思決定がトップダウンであったり、交渉が激しかったり、台湾人が特別西洋化していると言うことでもなく中国人の気質をそのまま体現しているように思えた。

 

 

また、違う参加者から2000年ごろに中国人を現地スタッフとして採用した話などを聞いた。

 

採用面接で色々と質問をする中で、10年後に何をしたいかと言う質問に答えることができた中国人は1人もいなかった。

 

当時、中国が凄まじい勢いで変化しており、10年後の社会の姿や自分がその社会の中で何をしているかというのが極めて予測困難なほど社会が日々変化していたということだろうか。

 

また、中国は公務員の立場が非常に強く、何をするにしても中国共産党を通す必要があることが多い。

 

スカンジナビア諸国も公務員の立場は強そうであるが、政治との癒着は切り離されておりその点中国とは違う。

 

また、スカンジナビア諸国では、公務員が必ずしも尊敬されているわけでもなく、公務員絶対主義があるわけでもない。

 

 

中国では、コネクションが非常に大事であり、知り合いの共産党員を通じてしか物事が進まないこともある。

 

 

 

・日本にも阿Qのような人はいる。

 

日本にも阿Qのような人はいると言う話が出た。

 

 

暴力的なまでの格差社会の中で、短期的なスパンでしか考えることができない阿Qのような人はどの国でもいるのではないか。もちろん日本にもいる。

 

また、自分自身が阿Qに共感するという意見も出た。

 

・中国は非常に競争の激しい社会。

 

中国は非常に競争の激しい社会であり、子供への過剰な教育投資も相まって、社会階級が再生産されている。

 

ライフコースがうまくいかなそうになると、寝そべり族になる若者も増えてきた。

 

 

・自由が乏しい中国

 

何を持って自由と言えるか、という議論はあるにせよ

 

中国を特徴づけている

 

家族主義、家制度、コネ社会、民主主義の欠如などを考えれば

 

政治制度における自由という意味でも、実存的な自由という意味でも、自由が制限されているのが、中国の特徴ではないか。

 

『失敗の本質』戸部良一、野中郁次郎他

2026年1月の読書会では『失敗の本質』について議論した。

 

議事録を公開する。

 

・前回の『菊と刀』から今回の『失敗の本質』という流れの選書が秀逸であった。

 

前回の読書会ではルースベネディクトの『菊と刀』について話した。

 

『菊と刀』では、第二次大戦における日本軍および日本人の行動を米軍およびアメリカ人のそれと比較分析した。

 

今回の『失敗の本質』も第二次大戦における日本軍とアメリカ軍を比較分析した本である。

 

日本人が人間関係を重視するあまりに自由に物事が言えないことが失敗、つまり敗戦の要因である。このことは2つの本のオーバーラップする主張である

 

前回の読書会の後、ルースベネディクトの『文化の型』を読んだという参加者もいた。

 

 

・戦後の実業界を代表する人間も当然従軍していた

 

下着メーカーのワコールの創業者の塚本氏や後に伊藤忠の会長になる瀬島氏などはインパール作戦に従軍していた。

 

 

 

・ニーチェのギリシャ芸術の分類:アポロン型とデュオニッソス型

 

 

理性的なアポロン型と情動的なデュオニッソス型でいえば、

 

日本軍は大事な場面において情動で動かれたという意味で、デュオニッソス型になる。

 

日本軍は理性的な決断(アポロン型的な)は大事な場面ではすることはできなかった。

 

・帰納法的な日本人、演繹法的なアメリカ人

 

日本人の行動は場当たり的で帰納的な傾向が強かった。

 

対して、アメリカ人の行動は大戦略から逆算するような演繹的な傾向があった。

 

 

・日露戦争の頃はテクノロジー的な優位もあった

 

日露戦争の頃の日本は、技術的な面でもロシア(ノモンハン事件の時と比較して)を上回っていた点がある。

 

例えば、モールス信号を使うなど当時の先端技術を使っていた。

 

情報戦でも日本は日露戦争の時は強かった。

 

もちろん、日露戦争時にも精神論的なものも多少なりとも存在はした。

 

 

 

・なぜ『失敗の本質』がベストセラーになったのか?

 

この本は6人の著者によって書かれた共著本である。

 

特に有名なのが歴史家の戸部良一と

 

経営学者である野中郁次郎である。

 

 

1984年にこの本が出版された。

 

当時は日本の経済は好調であった。

 

1991年に文庫化されている。

 

 

当時からバブル崩壊の予兆なようなものはあったから、そう言った世相とこの本の主題がマッチしたのではないか。

 

また、冷戦崩壊後の文脈まで、時代を押し広げると

 

冷戦のときには当然、中国は世界経済のマーケットに入って行きにくかった。

 

しかし、冷戦も終結し、グローバル化が進展していくと、中国の安くて良い製品が世界に浸透していった。

 

結果として日本を始めとした国々で作られたものが世界で売れなくなっていく。

 

こういった日本経済の衰退もこの本が売れ続けた背景としてある。

 

また、第二次大戦の敗戦原因の研究事態が長らくタブーであった。日本の敗戦の研究と言うテーマにあえて積極的に切り込んだ研究として、人々は関心を持ったのではないか。

 

 

そして、この本で語られている日本軍の劣等性は、実はいまだに日本の社会や組織が抱えている劣等性ではないか?そういう問題意識が多くの人に共有されていると言うことではないか。

 

バブル崩壊前、日本の企業に勤めていた参加者からは当時の日本企業がめちゃくちゃなことをやっていた話を語ってくれた。

 

男女差別は当たり前であるし、利益を追求するのではなく単なるごますりを延々とし続けるサラリーマンも多かった。いまだにこういった問題はあるとは思うが、当時よりはまともになった。

 

 

・愛国心は戦争につながるのでは?

 

愛国心がいきつくところは、結局は戦争なのではないかと言う意見が出た。

 

そして、戦争が一旦起こったら互いに自分の正義を主張して譲らない状況になる。

 

戦争が起こってしまったら、正義しかないのだ。

 

愛国心は危険を孕んでいる。

 

そして、日本人が精神主義的になれたのは、やはり天皇と言う当時の日本の文脈における絶対的な神(戦前の天皇制)が存在したからではないだろうか。

 

また当時日本人は戦争が好きだった。

 

当時は、子沢山が一般的だったので、例えば10人子供を産んで、仮に6人が戦死したとしても、その親は戦争に子供を送ることによってその天皇陛下に貢献することができたと喜んだ。

 

大手の新聞なども関東軍の満州での軍事作戦を賞賛した。

 

日本人は戦争が好きだった。

 

この辺は現代の感覚とだいぶ違う。

 

 

もし今戦争が起きた時、天皇が人間になった今、日本人は何のために戦うのか?

 

・主体的という言葉について

 

昨今、日本の教育において主体的な人材になることが重要視されている。

 

高校や大学の入試においても、主体的に活動したことを作文形式で書かせるような課題が出題される。

 

『失敗の本質』の中でも日本軍が主体的に組織変革することができなかったということだ。主体的という言葉がこの本の中で頻繁に出てくる。

 

しかしながら、主体的という言葉について、踏み込んだ分析は、正直この本の中でも見られなかった。

 

と言うのも、主体的と言うのは、日本の文脈の中ではいわゆる適応的自主性であることが多い。

 

つまり、与えられたものをうまくこなしていく人のことを主体的と言うことが一般的だ。

 

主体的と言う言葉に問題意識を持っている参加者からこのような見解が共有された。

 

その意味では、日本人は第二次大戦の敗戦の時もそうだし、今に至っても本当の意味で主体的になっているとは言えない。

 

単に主体的という言葉を使って主体的になったと思い込もうとしているだけではないか。

 

 

また、主体的という言葉はおそらく日本にはなかった言葉なのではないか。

 

西洋から輸入された言葉である事は間違いないであろう。

 

マルクス主義の研究が盛んだった時は、主体と客体という言葉が使われたようだ。

 

生産システムとして客体化された人間たちが、主体的な人生を取り戻すという意味での主体的と言う意味合いがマルクス経済学的にはあるのではないか。

 

また、近年、アクティブラーニングなどで主体性が重視されているのは、日本の経済が悪くなったことの証であろう。結局何が失敗の原因だったかと言うことを考えれば、やはり主体性の欠如と言うのは簡単に思いつきそうなことだ。

 

 

・当時は富国強兵という戦争の目的が明確にあった

 

当時は植民地獲得競争という文脈があり、富国強兵というゴールも明確であった。

 

日本人はなんとなく意思決定をしているように見えるが、当時の社会的政治的背景を考えると、富国強兵という明確な目的を遂行するために、戦争が始まった。

 

1928年のパリ不戦条約以前は外交問題の解決手段として戦争に訴える事は国際法的にも合法であった。

 

満州事変(1931年)が実際的には戦争であるのに、事変(国家間の『戦争』ではなく、あくまで局地的な治安維持活動)と呼ぶのは、日本が調印したパリ不戦条約(1928年)に抵触しないためだ。

 

戦争が拡大するまでの背景や敗戦に至るまでのプロセスを見てみると、曖昧なコミュニケーションの結果として、戦争が拡大したり敗戦に至った側面も事実としてあるが、戦争には、明確な富国強兵という目的はあった。

 

・天皇主義者でなくても、特攻隊になった。

 

特攻隊になった人が必ずしも天皇主義者であったわけではない。

 

特攻隊になった人は社会が要求するものに答えただけと言う人も多かった。

 

 

・最後は集団自殺した

 

主体性の欠如した日本は自分自身で変わることができなかった。

 

集団自殺をしてアメリカに変えてもらうしかないと考えた日本人が当時からかなりいた。

 

戦艦大和の乗組員だった人が書いた文章などから、そういったことが伺える。

 

 

・なぜ沖縄戦か?

 

沖縄戦は本土決戦のための時間稼ぎとして位置づけられていた。

 

沖縄への日本本土から差別が確実に背景にある。

 

ルースベネディクト『菊と刀』

2025年12月の読書会ではルースベネディクトの菊と刀を読んだ。読書会の議事録を公開する。

 

・自由というものが存在しうることに感激した杉本夫人

 

彼女は英語を学ぶために入学した東京のミッションスクールで何でも好きなものを植えて良い庭をもらったときの感激を記しており、個人の権利や自由と言うものがそもそも存在し得ることに大変感動している。(p361)

 

 

ルース・ベネディクトによる有名な文化の分類に恥の文化と罪の文化があり、日本は恥の文化に、アメリカは罪の文化に分類される。

 

 

恥の文化では、どこまで行っても、他人の世界を生きなければいけない。

 

罪の文化では、神に対して罪を犯さないことが重要になり、対神関係と比較して対人関係は二次的なものとなる。

 

 

戦後の歴史を振り返ってみると、第二次世界大戦に敗戦した日本はアメリカ型の民主主義を受け入れたわけで、アメリカ的なシステムを導入することが一定程度成功した例と言える。

 

アメリカはこのような成功例があったからこそ、イラクと戦争したときに民主主義を導入できると思ったのではないか。日本での成功例があったから。

 

しかし、イラクではうまくアメリカ型の民主主義はインストールされる事はなかった。

 

これに対して、イスラム教と言う一神教があるところでは話は簡単にはいかないのではないかと言う意見が出た。対して、明治期の天皇制は、一神教に近い天皇制であったと反論もでた。

 

 

・ルースベネディクトによると日本人の機会主義が戦後の転向を可能にした

 

ルースベネディクトによると日本人は極端に機会主義的(opportunism)な倫理を持っている国民である。(p378)

 

機会主義的な倫理により、現人神である天皇中心とする体制から、民主主義へと一気に移行できた。

 

この箇所について、日本人は自分に良いチャンスと思えば、簡単にそちらのほうに流れる。そのことが日本人の性質であると書かれているように思い、納得できたと言う意見が出た。

 

あらゆる文化の中に、機会主義的なものと原理主義的なものの両方があると言う意見も出た。

 

機会主義と原理主義の区分で行けば、日本は機会主義の側に寄っているのであろう。

 

 

・日本における原理主義と機会主義

 

戦前の天皇性は、一神教に近い側面があったと思うが戦前は原理主義的な国であったと言えなくもない。

 

また、江戸時代などを見ると、ヨーロッパと比べて、性にオープンであったり、お金儲けも悪いものとしてのラベルが貼られているわけでもなかったなど、おおらかな面があったと思われる。

 

その意味では、原理主義的な白黒がはっきりつくような倫理体系を、江戸時代の日本人が持っていたわけではない。ある意味では、状況に応じて合理的な判断がしていたのが江戸時代の人々であり、一概に原理原則がないことが悪いわけでもないと思われる。

 

 

・教育における機会主義

 

日本における教育の特徴として、幼少期に自由に甘えることが許されて、青年期には、社会的な束縛が大きくなり、老年期には、再び幼少期のような自由が許されるようになる、いわゆるU字型曲線を描くとルースベネディクトは指摘している。(P309)

 

幼少期に自由に甘えられた体験があるからこそ、青年期にずっとジレンマとして残っているのではないか。

 

 

・ジブリ作品の風立ちぬ、について

 

ヒロインが結核にかかり、結核にかかって血を吐いている姿を見せることを恥と感じているとのシーンがあった。

 

ルースベネディクトも指摘しているように、恥と言うものが日本人の行動を特徴付けていることがジブリの映画からもわかる、という意見がでた。

 

それに対して、映画風立ちぬは、堀辰夫の『風立ちぬ』と言う中編小説がベースになっているとの見解が共有された。

 

 

堀辰雄は、著名なフランス文学者であり、フランス的な文化の中でも、結核と言う病気にはある種の美しさがあるとのことだ。と言うのも、血の赤色は美しい、という意見が出た。

 

 

 

 

 

・『菊と刀』を日本人論の代表的な、古典と位置づけることはどこまで可能か?

 

 

青木保と言う有名な文化人類学者が日本文化論の変容と言う本を書いている。

 

 

それによると、

 

第1期が1945年から54年で否定的特殊性の認識と言う時代であったこの時代を象徴する日本文化論として、坂口安吾の堕落論がある。

 

 

第二期が1955年から63年で、歴史的相対性の時代である。

 

 

そこでは、日本文化の雑種性を書いた加藤周一や文明の生態史観を書いた梅棹忠夫などが挙げられている。

 

第3期が1964年から76年で構造的特殊性の時代とされている。

 

ここでは、土居健郎の甘えの構造などが、代表的な本として挙げられている。

 

そして、第4期が日本が経済的なピークを迎える時代で、代表的な本として、エゾラヴォーゲルのジャパンアズナンバーワンがある。

 

そして、その時代をピークに、日本は経済的に衰退していくことになる。

 

 

このように見ると、戦後に書かれた日本人論の名著と言うのはその時代区分によってラインナップがあり、一概にルースベネディクトの菊と刀が日本人論の代表的なものと言う事はできないと思う。

 

しかしながら日本論を研究している海外の学生の話では、菊と刀は総じて読まれていることが多いこともあり、国際的な流通と言うことを考えると、やはり菊と刀は最も読まれている本の1つであると言う事は間違いないだろう。

 

 

・ルースベネディクトが指摘したような日本文化の方は、いまだに田舎では十分に存在していると言える。

 

恥を基調として、体面を何よりも重んじる文化は、未だに田舎では一般的である。

 

都会ではそうではないことも多い。

 

また、伝統芸能の世界でも、時代の変化や都市的な文化の影響を受けずに残っている伝統のようなものも存在する。

 

例えば、お茶で有名な千利休が400年前に亡くなって以来、お茶の道具を作る伝統受け継いだファミリーがファミリーたち同士で月一回集まりをしている。400年経った今でもそのミーティングが続いていると言うことだ。

 

これは伝統と言うものが守るべき不変のものとしてあると言うことか?

 

それとも、ミーティングが行われている地方の場所も含めた土地に根ざした習慣であるのかどちらであるのだろうか?

 

 

大ヒット映画、国宝の中でもあったように歌舞伎役者の世界のように、代々受け継がれている伝統的な文化の世界には、非合理なものも多いと思うが、外から見るとそれが美しさとして見えることも多い

 

・日本美術の中にある恥

 

日本美術の作品の中に『恥』を見出すことができる。

 

例えば、長谷川等伯の作品の中に、それを見出すことができる。

 

・天皇と日本について

 

日本人が天皇にこだわる理由が腑に落ちたと言う意見があった。

 

『忠』という言葉が度々この本の中で出てくる。

 

上下関係の階層構造によって限定された日本社会であるが、その究極的な上司又は父親としての天皇の存在がある。究極的に天皇に忠義を尽くす必要があると言うことだ。

 

 

それはある意味では、絶対的なものにすがりたいと言う思いの表れとも言えないか。

 

 

天皇自体は、アマテラス大御神の子孫と言うことになっている。

 

明治時代は一神教に近い天皇制があり、

 

そして、第二次大戦敗戦後、天皇人間宣言があった。

 

 

戦前のような強固に思想統制が敷かれた天皇制と言うのは明らかに問題があるが、覚えておかなければいけないのは、昭和天皇がいなければ、本土決戦になっていたと言うことだ。

 

 

夏目漱石『門』の読書会議事録

2025年11月の読書会では夏目漱石『門』を読んだ。読書会の議事録を公開する。

 

・明治の物語というよりも、現代の夫婦ドラマ。

 

『門』は1910(明治43)年に発表された小説である。

 

しかし、その内容は現代の夫婦の関係を先取りしたかのような新しさがある。

 

明治時代の法体系においては、妻は夫の所有物であるという前提があったが、この小説の夫婦の会話は現代の夫婦のように対等な感じを受ける。

 

当時としてはとても新しかったのではないか。

 

 

・不倫は刑事罰の対象であった。

 

当時は、姦通罪(1947年に廃止)があり、刑事罰の対象になった。

 

 

・堅くて重たいが、同時に、肩の力が抜けている文体

 

夏目漱石の文章は非常によく練られており、堅くて重たいが、同時に肩の力が抜けている。

 

明治時代の文学は、今の人が読むと堅い文章が多く、読みにくい作品が多い。

 

江戸時代までの漢文による表現を踏襲した作品が多かった。

 

それに対して、夏目漱石の文章は読みやすい。

 

こういう文学は、今までになかったのではないか。

 

 

夏目漱石は国内外の文学に精通しており、さらに落語が好きで会話文も巧みであった。

 

また、英文学を勉強する前は、漢文の勉強をしていた。

 

そういった豊かな蓄積の中から、全く新しい形の文章を作り上げた。

 

 

・何が倫理的な問題だったのか?

 

お米と安井が夫婦であったかどうかは明確ではない。

 

おそらく夫婦ではなかったが、同棲していたと思われる。

 

その後、お米と宗介がくっついた過程も明瞭には書かれていない。

 

当時、姦通罪というものがあった。

 

今でいう不倫や浮気とは別次元の重さがあった。

 

奥さんの不倫相手を夫が訴えれば、逮捕された(妻は夫の所有物とされていたので、夫が訴えることで刑事罰の対象になった)。

 

安井とお米は結婚していたわけではないとすれば、結婚せずに同棲していた時点で当時の倫理に抵触したのではないか。

 

その後、安井の友人の宗介がお米と付き合うことになった。つまり、結婚を前提に同棲していた友人の恋人を奪った形になった。

 

これが当時の倫理に抵触した。

 

安井とお米が結婚していたかどうかは別にしても、姦通罪の存在した明治時代の背景を考えれば、現代とは別次元の重さがあったのだろう。

 

 

ちなみに、同棲というものが世の中的に受け入れられるようになったのは、1973年に「神田川」という曲がヒットして以降のことのようだ。

 

また、女中さんと関係を持つということはOKだったようだ。伊藤博文の妾の話なども有名な話である。当時の明治日本では一般的なことであった。

 

 

・1947年まで、男性優位の法体系が存在した。

 

1947年まで、男性優位の法体系が存在し、家父長制度というものがあった。

 

そこでは、年配の男性が偉いということであり、また、男女同権も認められていなかった。

 

そういった背景とは異なり、お米と宗介の関係は対等であるように感じる。

 

 

また、お米と宗介の関係は、子供がいない夫婦にはピンとくるのではないかという意見も出た。

 

子供が生まれると、夫婦間での役割が明確になってくるので、逆に深い会話も起こりにくくなっていくようなこともあると思う。

 

ちなみに、高度経済成長期のあたりは、専業主婦が成立した時代であった。

 

現在では奥さんがあまりにも大変な時代になっているのではないか。つまり家庭のこともやりながら仕事のこともやるということであるから。

 

逆に育児休暇を取っていない男性が、実際に育児をすると負担が男性のほうに寄ってくるという意見も出た。

 

 

・子供を3回失っている。

 

お米は、流産と死産で子供を3回失っている。

 

子供を作ることが善とされた時代においては、子供を産まない妻は離婚される可能性もあった。

 

 

・宗介は友人の恋人を奪い、そして大学を辞めることになった。

 

宗介は友人の恋人を奪い、大学を辞めることになった。

 

現代の感覚からすれば、宗介が大学を辞めることになったのはやりすぎだと思うが、友人の恋人を奪うことは、社会が彼ら夫婦を捨てたと書かれているくらいの重さがあったのだろう。

 

大学まで辞めることは、現代の感覚からすれば、世界が狭いということになってしまうが、当時の文脈で読み解くべきである。

 

ちなみに、そのような人たちがどこに活路を見つけたかと言えば、満州へ行くことであった。

 

日本でうまくいっていない人が満州へ行った。

 

安井もご多分にもれず、モンゴル、つまり満州エリアに行った。

 

 

・すべてを捨てて、恋愛に全振りする生き方への憧れ。

 

すべてを捨てて、恋愛に生きる生き方は、憧れの対象になることがあるのかもしれない。

 

それは、立身出世主義のアンチテーゼと言えるのではないか。

 

社会主義の運動もそれに近いものがあると思う。

 

自分はそこまで、すべてを捨てて非合理な行動をしないとしても、映画や文学を通して疑似体験しているのかもしれない。

 

 

・お金の問題

 

夏目漱石の小説では、お金の問題が頻繁に出てくる。

 

今回の小説でも、相続財産の問題や、宗介の弟の小六の就学費用をどのようにするかなど、お金の問題がしきりに出てきた。

 

当時の貨幣価値を現在に直すと、だいたい6000倍くらいで考えてよいと思う。

 

夏目漱石は高収入であったが、義理の父などが、しきりにお金をせびりに来た。

 

 

・崖の上に住んでいる坂井の家に泥棒が入った

 

崖の上に住んでいる坂井の家に泥棒が入ったことで、坂井との付き合いが生まれた。

 

社会から見捨てられ、社会とのつながりを持っていなかった宗介にとって、唯一とも言ってよい社会とのつながりができた。

 

そして、皮肉なことに、その社会との接点が安井と再び接近するきっかけとなってしまう。

 

 

夏目漱石近代主義そのものに疑問を持っていた節がある。

 

夏目漱石は当時、明治維新を経て日本で起こっていた近代化に根本的な疑問を持っていた節がある。

 

これは先月読んだ『草枕』の中でも、列車を非個人的な均質的なシステムに、人間が取り込まれていくプロセスとして表している箇所からも、近代化に関して疑問を持っていたことがわかると思う。

 

夏目漱石の近代化への疑問を現代の文脈に置き換えて説明すれば、AIが相当するかもしれない。

 

つまり、AIによって失われてしまうものがたくさんあるとすれば、AIの普及自体に疑問を持つという人がいるのは自然なことであると思うが、夏目漱石の近代化への疑問は、現代の知識人がAIに疑問を投げかけることと、感覚的には近いのかもしれない。

 

 

・楽観的に生きている人には見えない重さがある。

 

夏目漱石の作品およびその人生観には、楽観的に生きている人には見えない重さと、悲観的な人生観が深いところにある。

 

 

・宗介とお米は、お互いの傷口には触れないで生きている。

 

お米は三回、出産に失敗したことで深く傷ついていた。

 

しかし、その心境を夫の宗介には伝えていない。

 

対して、夫の宗介は、お米と昔関係のあった安井が、自分の家のすぐ崖の上に住んでいる坂井の弟と一緒にモンゴルで事業をやっており、安井が坂井の家を訪ねる予定があることを聞き、動揺しているときもそのことをお米に伝えていない。

 

 

二人が見ている世界には落差がある。

 

この二人の落差は、小説の最後のページで、お米が春が来ていることをありがたく思っているのに対して、宗介がまた冬になると言っていることが象徴しているのではないか。

 

その反面で、これは良いことも悪いことも循環していくということを表しているのではないかという意見も出た。

 

二人の関係は時代を先取りしていたという意見もあった。洗練された二人の関係であるという意見も出た。

 

 

・禅寺に行くシーンは何のためにあるのか?

 

物語の序盤から一貫して宗介は非常に理知的な人間として描かれている。

 

罪の意識に対して宗教で救いを求めようとするが、結局、宗教の門をくぐることはできなかった。

 

宗介は宗教が入り込む余地が全くないような人間であり、この場面自体が全体から浮いてしまっている印象もある。

 

もしかしたら、夏目漱石は、一生逃れることができない罪の意識を背負いながら生きている宗介という人間の救われなさを描くために、この宗教の門の前に立つシーンを書いたのではないか。

 

とはいっても、禅寺で宗教に入り込もうとする場面や、自分の家の近くの崖の上に住んでいる坂井との関係ができたことをきっかけに安井と再会する可能性が出てしまったことなど、やや強引すぎる展開のある小説とも言える。

 

 

・堅くて内容が詰まっているが、自然な文体。

 

夏目漱石の文章は堅くて内容が詰まっているが、自然な文体である。

 

口語体の文章が夏目漱石によって作られたといってもいいだろう。

 

短文で非常に迫力のある文章が展開されることもしばしばある。

夏目漱石『草枕』新潮文庫版の読書会議事録

2025年10月の読書会では夏目漱石『草枕』を読んだ。読書会の議事録を公開する。

 

・全体として

吾輩は猫である』と同じく13章構成の小説である。これは当時、連載として小説を発表していたため、四半期が約13週間であることに対応して13章構成なのではないか。

草枕』には、夏目漱石の漢文の教養が存分に発揮されており、漢籍からの出典も多数ある。漢文の教養が求められるあたりは非常に理解が難しいが、注釈があるのでそれを頼りに読むことになる。

この小説のテーマとしては、非人情が芸術を作る上で重要であるという点であるが、この非人情をどう理解するかがなかなか難しい。

また、この非人情というのは、夏目漱石の人間嫌い、ひいては独身主義から出てくる考え方ではないか。

この小説は、ストーリーという意味での話の筋があるわけではなく、展開に乏しいのが特徴であるが、まさにそれを意図して、いわば「小説ならざる小説」という意図で作成されたと言われている。

 

・日本にも中国にも世捨て人の伝統がある。

日本人には鴨長明西行などの有名な世捨て人がいる。

しかし一概に、この小説は世捨て人的な生き方を賞賛しているわけでもない。

 

・主人公の画家にリアリティがない。

この『草枕』の主人公の画家はいろいろな教養を持っており、それがしばしば小説の中に出てくるが、これは夏目漱石自身が話しているような感じがして、小説の中の登場人物という感じがしない。

全体としてすべての登場人物に言えることであるが、登場人物のキャラが立っていないので、その意味で小説としては失敗しているのではないか。

よく理解しづらいという意味では、ゲーテの『ファウスト』第2部も「わけがわからないが面白い」という点では共通するが、『ファウスト』においては登場人物のキャラはしっかり立っている。

 

・言葉が一人歩きしていくのを楽しむ小説。

色恋沙汰や、人生のさまざまな出来事をストーリーに沿って描く小説のスタイルとは、全く違った小説である。

草枕』の中ではイメージと言葉がうまくリンクしない。どちらかというと言葉が一人歩きしていくのを楽しむ趣が強い。

 

・「非人情こそ芸術である」というテーゼを裏切る形でこの小説が書かれている。

第1章では、非人情こそが芸術であるというテーゼが明確に出されている。

しかし、最終章の最後のページでは、那美が日露戦争の戦地に赴く元夫と鉄道の駅で別れる際に見せた「憐れ」こそが芸術となり得る、というくだりで終わっている。

人情(那美の見せた憐れ)があってこそ芸術が成り立つという結末でこの小説は終わっており、その意味で第1章と第13章の主張は真逆となっている。

結局は、人情というものなしには芸術作品は作れない、というところに帰着したということではないか。

それが、非人情がいかに重要であるかというところから始まって、最後にやはり人情が大事であると展開するのが、この小説の要点なのではないか。

 

日露戦争への出征は、人情露出への伏線。

日露戦争のために満州へ出征するくだりは、まさに人情が絡んでくる世界への伏線となっている。

那美の元夫が戦場へ赴くときに、那美が「憐れ」な表情をする。

このいちばん最後の場面は、この小説全体でも重要な場面の一つと思われ、戦争ということが人情につながる伏線として機能している。

 

・非人情を体現した作品として、『トリストラム・シャンディ』などがある。

イギリスの小説の中には、『トリストラム・シャンディ』など非人情を体現したとされる小説が存在する。

 

・風呂場の場面では、人情が垣間見える。

非人情こそが芸術において重要であるというテーゼから始まり、最後にそのテーゼがひっくり返されるわけだが、

小説の中盤にも、非人情ではなく人情こそ重要であるという描写がある。

例えば、90ページから91ページにかけての風呂場のシーンがそれだ。

ここでは、画家、ミレーの《オフェリア》の水死体の絵についての記述がある。

水死するのが美しいものだという考えは、非人情の世界にはない考えであると思う。

ここでも、実は人情こそが重要であるということが書かれている場面と言えるのではないか。

 

・『草枕』の特徴としての近代社会批判および反帝国主義

明治時代の当時としては非常に先進的すぎる描写が、物語終盤第13章の174ページから176ページにかけて見られる。

「列車」に関する記述である。

この主人公の画家が列車について話している場面だ。

人々は「列車で行く」というが、画家は「列車によって運搬される」という。

詰め込まれた人間たちが、皆、同程度の速度で同じ駅に着く。

画一的なシステムに人間を放り込むという意味において、列車は個性を踏みにじっているものであると書かれている。夏目漱石の強烈な個人主義が表されている文章であり、近代社会へのアンチテーゼとさえ言える。

近代的な社会システムが巨大化していく中で、人間が画一的にシステムに取り込まれていくさまを、夏目漱石は批判している。

夏目漱石は、富国強兵の当時としては先進的すぎる個人主義者であり、戦後に個人主義が発展していく中でこそ、夏目漱石が国民的作家になっていった経緯と符合する。

というのも明治時代には、夏目漱石は国民的作家とまでは言えず、もっと売れっ子な作家は他にいた。

また、「自分の所有する土地の中でのみ自由が実現できる」という記述は、私有財産性をベースにした生産システムである資本主義的生産様式、並びに帝国主義への痛烈な批判である。

社会主義者の著作にはこのような言論は存在したと思われるが、夏目漱石は、あくまで『草枕』という文学作品の、しかも数ページのみに、このような記述を織り込んだ。

当時、社会主義運動が取り締まりの対象になることもあった。

当然、夏目漱石個人主義に関する自身の思想をそのまま表現すれば取り締まりの対象になった可能性もあるが、彼は作品(文章芸術)の中のほんの数ページでのみ、自身の個人主義や近代社会に対する批判を述べている。

 

・那美の元夫への「死んで御出で」というセリフは、反戦的な表現だろう。

那美が満州へ出征する元夫に向かって「死んでおいで」と言うセリフをかける。

このような女を描いている夏目漱石は、反戦的と言えないだろうか。

 

夏目漱石は、エリート主義に囚われた個人主義者、もしくは独身主義者か。

夏目漱石は、エリート主義に囚われた個人主義者、もっと言えば、イギリス的な独身主義者であったかもしれない。

夏目漱石は実業という世界からは離れていたし、また英語の教師として勤めることも好きではなかった。

しかし、彼は実際には文学エリートであり、芸術エリートである。

当時のエリートの意識としては、家庭を持ち子どもを持つことが是とされていた。

彼自身の思想としては、個人主義および独身主義のような価値観が深くあったかもしれない。

例えば、漱石寺田寅彦など男性の知識人サークルを自宅で作っていた。

また、結婚こそしているが、女性嫌いの傾向があったと思われる。

その意味で、夏目漱石はある種の個人主義者でありイギリス知識階級にみられたような独身主義者であったのかもしれないが、漱石自身にエリート意識があったこともあり、また当時としては社会規範として家庭を持ち妻子を持つことが一般的とされていたこともあり、結婚はしている。

その意味で、夏目漱石は社会的現実から逃れることができなかった、もしくは抗うことができなかった個人主義者・独身主義者と言えなくはない。

ちなみに、いまだに日本でも結婚して家庭を持ち子どもを持つということが推奨されるライフコースとされる地域も多い。特に田舎ではその傾向が顕著だ。

他者がそうしているから自分もそうするべきだという、ある種の「他者思考」と日本人的な集団思考の組み合わせにより、強固な風習としてこのような考え方は根強く残っている。

 

・今後の夏目漱石の読み方として。

国家や近代社会および家族というものを功利的な観点から、つまり実理的な観点からどのように読み込めるかというのは、夏目漱石の読み方として面白いのではないか。

 

夏目漱石の魅力は「わからなさ」にあるのではないか。

吾輩は猫である』にしても『草枕』にしても、漢文の知識や西洋文学の知識が盛り込まれており、それらをしっかりと理解するのは非常に困難であると言える。

夏目漱石が書いた文章の出典などを含めて理解するのはハードルが高い。

しかし、夏目漱石は国民的作家という地位を得ている。

草枕』や『吾輩は猫である』は特にわかりにくい作品と言えるが、その「わからなさ」こそが夏目漱石の魅力なのではないか。