古典文学読書会のブログ

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『失敗の本質』戸部良一、野中郁次郎他

2026年1月の読書会では『失敗の本質』について議論した。

 

議事録を公開する。

 

・前回の『菊と刀』から今回の『失敗の本質』という流れの選書が秀逸であった。

 

前回の読書会ではルースベネディクトの『菊と刀』について話した。

 

菊と刀』では、第二次大戦における日本軍および日本人の行動を米軍およびアメリカ人のそれと比較分析した。

 

今回の『失敗の本質』も第二次大戦における日本軍とアメリカ軍を比較分析した本である。

 

日本人が人間関係を重視するあまりに自由に物事が言えないことが失敗、つまり敗戦の要因である。このことは2つの本のオーバーラップする主張である

 

前回の読書会の後、ルースベネディクトの『文化の型』を読んだという参加者もいた。

 

 

・戦後の実業界を代表する人間も当然従軍していた

 

下着メーカーのワコールの創業者の塚本氏や後に伊藤忠の会長になる瀬島氏などはインパール作戦に従軍していた。

 

 

 

ニーチェギリシャ芸術の分類:アポロン型とデュオニッソス型

 

 

理性的なアポロン型と情動的なデュオニッソス型でいえば、

 

日本軍は大事な場面において情動で動かれたという意味で、デュオニッソス型になる。

 

日本軍は理性的な決断(アポロン型的な)は大事な場面ではすることはできなかった。

 

帰納法的な日本人、演繹法的なアメリカ人

 

日本人の行動は場当たり的で帰納的な傾向が強かった。

 

対して、アメリカ人の行動は大戦略から逆算するような演繹的な傾向があった。

 

 

日露戦争の頃はテクノロジー的な優位もあった

 

日露戦争の頃の日本は、技術的な面でもロシア(ノモンハン事件の時と比較して)を上回っていた点がある。

 

例えば、モールス信号を使うなど当時の先端技術を使っていた。

 

情報戦でも日本は日露戦争の時は強かった。

 

もちろん、日露戦争時にも精神論的なものも多少なりとも存在はした。

 

 

 

・なぜ『失敗の本質』がベストセラーになったのか?

 

この本は6人の著者によって書かれた共著本である。

 

特に有名なのが歴史家の戸部良一

 

経営学者である野中郁次郎である。

 

 

1984年にこの本が出版された。

 

当時は日本の経済は好調であった。

 

1991年に文庫化されている。

 

 

当時からバブル崩壊の予兆なようなものはあったから、そう言った世相とこの本の主題がマッチしたのではないか。

 

また、冷戦崩壊後の文脈まで、時代を押し広げると

 

冷戦のときには当然、中国は世界経済のマーケットに入って行きにくかった。

 

しかし、冷戦も終結し、グローバル化が進展していくと、中国の安くて良い製品が世界に浸透していった。

 

結果として日本を始めとした国々で作られたものが世界で売れなくなっていく。

 

こういった日本経済の衰退もこの本が売れ続けた背景としてある。

 

また、第二次大戦の敗戦原因の研究事態が長らくタブーであった。日本の敗戦の研究と言うテーマにあえて積極的に切り込んだ研究として、人々は関心を持ったのではないか。

 

 

そして、この本で語られている日本軍の劣等性は、実はいまだに日本の社会や組織が抱えている劣等性ではないか?そういう問題意識が多くの人に共有されていると言うことではないか。

 

バブル崩壊前、日本の企業に勤めていた参加者からは当時の日本企業がめちゃくちゃなことをやっていた話を語ってくれた。

 

男女差別は当たり前であるし、利益を追求するのではなく単なるごますりを延々とし続けるサラリーマンも多かった。いまだにこういった問題はあるとは思うが、当時よりはまともになった。

 

 

愛国心は戦争につながるのでは?

 

愛国心がいきつくところは、結局は戦争なのではないかと言う意見が出た。

 

そして、戦争が一旦起こったら互いに自分の正義を主張して譲らない状況になる。

 

戦争が起こってしまったら、正義しかないのだ。

 

愛国心は危険を孕んでいる。

 

そして、日本人が精神主義的になれたのは、やはり天皇と言う当時の日本の文脈における絶対的な神(戦前の天皇制)が存在したからではないだろうか。

 

また当時日本人は戦争が好きだった。

 

当時は、子沢山が一般的だったので、例えば10人子供を産んで、仮に6人が戦死したとしても、その親は戦争に子供を送ることによってその天皇陛下に貢献することができたと喜んだ。

 

大手の新聞なども関東軍満州での軍事作戦を賞賛した。

 

日本人は戦争が好きだった。

 

この辺は現代の感覚とだいぶ違う。

 

 

もし今戦争が起きた時、天皇が人間になった今、日本人は何のために戦うのか?

 

・主体的という言葉について

 

昨今、日本の教育において主体的な人材になることが重要視されている。

 

高校や大学の入試においても、主体的に活動したことを作文形式で書かせるような課題が出題される。

 

『失敗の本質』の中でも日本軍が主体的に組織変革することができなかったということだ。主体的という言葉がこの本の中で頻繁に出てくる。

 

しかしながら、主体的という言葉について、踏み込んだ分析は、正直この本の中でも見られなかった。

 

と言うのも、主体的と言うのは、日本の文脈の中ではいわゆる適応的自主性であることが多い。

 

つまり、与えられたものをうまくこなしていく人のことを主体的と言うことが一般的だ。

 

主体的と言う言葉に問題意識を持っている参加者からこのような見解が共有された。

 

その意味では、日本人は第二次大戦の敗戦の時もそうだし、今に至っても本当の意味で主体的になっているとは言えない。

 

単に主体的という言葉を使って主体的になったと思い込もうとしているだけではないか。

 

 

また、主体的という言葉はおそらく日本にはなかった言葉なのではないか。

 

西洋から輸入された言葉である事は間違いないであろう。

 

マルクス主義の研究が盛んだった時は、主体と客体という言葉が使われたようだ。

 

生産システムとして客体化された人間たちが、主体的な人生を取り戻すという意味での主体的と言う意味合いがマルクス経済学的にはあるのではないか。

 

また、近年、アクティブラーニングなどで主体性が重視されているのは、日本の経済が悪くなったことの証であろう。結局何が失敗の原因だったかと言うことを考えれば、やはり主体性の欠如と言うのは簡単に思いつきそうなことだ。

 

 

・当時は富国強兵という戦争の目的が明確にあった

 

当時は植民地獲得競争という文脈があり、富国強兵というゴールも明確であった。

 

日本人はなんとなく意思決定をしているように見えるが、当時の社会的政治的背景を考えると、富国強兵という明確な目的を遂行するために、戦争が始まった。

 

1928年のパリ不戦条約以前は外交問題の解決手段として戦争に訴える事は国際法的にも合法であった。

 

満州事変(1931年)が実際的には戦争であるのに、事変(国家間の『戦争』ではなく、あくまで局地的な治安維持活動)と呼ぶのは、日本が調印したパリ不戦条約(1928年)に抵触しないためだ。

 

戦争が拡大するまでの背景や敗戦に至るまでのプロセスを見てみると、曖昧なコミュニケーションの結果として、戦争が拡大したり敗戦に至った側面も事実としてあるが、戦争には、明確な富国強兵という目的はあった。

 

天皇主義者でなくても、特攻隊になった。

 

特攻隊になった人が必ずしも天皇主義者であったわけではない。

 

特攻隊になった人は社会が要求するものに答えただけと言う人も多かった。

 

 

・最後は集団自殺した

 

主体性の欠如した日本は自分自身で変わることができなかった。

 

集団自殺をしてアメリカに変えてもらうしかないと考えた日本人が当時からかなりいた。

 

戦艦大和の乗組員だった人が書いた文章などから、そういったことが伺える。

 

 

・なぜ沖縄戦か?

 

沖縄戦は本土決戦のための時間稼ぎとして位置づけられていた。

 

沖縄への日本本土から差別が確実に背景にある。

 

ルースベネディクト『菊と刀』

2025年12月の読書会ではルースベネディクトの菊と刀を読んだ。読書会の議事録を公開する。

 

・自由というものが存在しうることに感激した杉本夫人

 

彼女は英語を学ぶために入学した東京のミッションスクールで何でも好きなものを植えて良い庭をもらったときの感激を記しており、個人の権利や自由と言うものがそもそも存在し得ることに大変感動している。(p361)

 

 

ルース・ベネディクトによる有名な文化の分類に恥の文化と罪の文化があり、日本は恥の文化に、アメリカは罪の文化に分類される。

 

 

恥の文化では、どこまで行っても、他人の世界を生きなければいけない。

 

罪の文化では、神に対して罪を犯さないことが重要になり、対神関係と比較して対人関係は二次的なものとなる。

 

 

戦後の歴史を振り返ってみると、第二次世界大戦に敗戦した日本はアメリカ型の民主主義を受け入れたわけで、アメリカ的なシステムを導入することが一定程度成功した例と言える。

 

アメリカはこのような成功例があったからこそ、イラクと戦争したときに民主主義を導入できると思ったのではないか。日本での成功例があったから。

 

しかし、イラクではうまくアメリカ型の民主主義はインストールされる事はなかった。

 

これに対して、イスラム教と言う一神教があるところでは話は簡単にはいかないのではないかと言う意見が出た。対して、明治期の天皇制は、一神教に近い天皇制であったと反論もでた。

 

 

・ルースベネディクトによると日本人の機会主義が戦後の転向を可能にした

 

ルースベネディクトによると日本人は極端に機会主義的(opportunism)な倫理を持っている国民である。(p378)

 

機会主義的な倫理により、現人神である天皇中心とする体制から、民主主義へと一気に移行できた。

 

この箇所について、日本人は自分に良いチャンスと思えば、簡単にそちらのほうに流れる。そのことが日本人の性質であると書かれているように思い、納得できたと言う意見が出た。

 

あらゆる文化の中に、機会主義的なものと原理主義的なものの両方があると言う意見も出た。

 

機会主義と原理主義の区分で行けば、日本は機会主義の側に寄っているのであろう。

 

 

・日本における原理主義と機会主義

 

戦前の天皇性は、一神教に近い側面があったと思うが戦前は原理主義的な国であったと言えなくもない。

 

また、江戸時代などを見ると、ヨーロッパと比べて、性にオープンであったり、お金儲けも悪いものとしてのラベルが貼られているわけでもなかったなど、おおらかな面があったと思われる。

 

その意味では、原理主義的な白黒がはっきりつくような倫理体系を、江戸時代の日本人が持っていたわけではない。ある意味では、状況に応じて合理的な判断がしていたのが江戸時代の人々であり、一概に原理原則がないことが悪いわけでもないと思われる。

 

 

・教育における機会主義

 

日本における教育の特徴として、幼少期に自由に甘えることが許されて、青年期には、社会的な束縛が大きくなり、老年期には、再び幼少期のような自由が許されるようになる、いわゆるU字型曲線を描くとルースベネディクトは指摘している。(P309)

 

幼少期に自由に甘えられた体験があるからこそ、青年期にずっとジレンマとして残っているのではないか。

 

 

ジブリ作品の風立ちぬ、について

 

ヒロインが結核にかかり、結核にかかって血を吐いている姿を見せることを恥と感じているとのシーンがあった。

 

ルースベネディクトも指摘しているように、恥と言うものが日本人の行動を特徴付けていることがジブリの映画からもわかる、という意見がでた。

 

それに対して、映画風立ちぬは、堀辰夫の『風立ちぬ』と言う中編小説がベースになっているとの見解が共有された。

 

 

堀辰雄は、著名なフランス文学者であり、フランス的な文化の中でも、結核と言う病気にはある種の美しさがあるとのことだ。と言うのも、血の赤色は美しい、という意見が出た。

 

 

 

 

 

・『菊と刀』を日本人論の代表的な、古典と位置づけることはどこまで可能か?

 

 

青木保と言う有名な文化人類学者が日本文化論の変容と言う本を書いている。

 

 

それによると、

 

第1期が1945年から54年で否定的特殊性の認識と言う時代であったこの時代を象徴する日本文化論として、坂口安吾堕落論がある。

 

 

第二期が1955年から63年で、歴史的相対性の時代である。

 

 

そこでは、日本文化の雑種性を書いた加藤周一や文明の生態史観を書いた梅棹忠夫などが挙げられている。

 

第3期が1964年から76年で構造的特殊性の時代とされている。

 

ここでは、土居健郎の甘えの構造などが、代表的な本として挙げられている。

 

そして、第4期が日本が経済的なピークを迎える時代で、代表的な本として、エゾラヴォーゲルのジャパンアズナンバーワンがある。

 

そして、その時代をピークに、日本は経済的に衰退していくことになる。

 

 

このように見ると、戦後に書かれた日本人論の名著と言うのはその時代区分によってラインナップがあり、一概にルースベネディクトの菊と刀が日本人論の代表的なものと言う事はできないと思う。

 

しかしながら日本論を研究している海外の学生の話では、菊と刀は総じて読まれていることが多いこともあり、国際的な流通と言うことを考えると、やはり菊と刀は最も読まれている本の1つであると言う事は間違いないだろう。

 

 

・ルースベネディクトが指摘したような日本文化の方は、いまだに田舎では十分に存在していると言える。

 

恥を基調として、体面を何よりも重んじる文化は、未だに田舎では一般的である。

 

都会ではそうではないことも多い。

 

また、伝統芸能の世界でも、時代の変化や都市的な文化の影響を受けずに残っている伝統のようなものも存在する。

 

例えば、お茶で有名な千利休が400年前に亡くなって以来、お茶の道具を作る伝統受け継いだファミリーがファミリーたち同士で月一回集まりをしている。400年経った今でもそのミーティングが続いていると言うことだ。

 

これは伝統と言うものが守るべき不変のものとしてあると言うことか?

 

それとも、ミーティングが行われている地方の場所も含めた土地に根ざした習慣であるのかどちらであるのだろうか?

 

 

大ヒット映画、国宝の中でもあったように歌舞伎役者の世界のように、代々受け継がれている伝統的な文化の世界には、非合理なものも多いと思うが、外から見るとそれが美しさとして見えることも多い

 

・日本美術の中にある恥

 

日本美術の作品の中に『恥』を見出すことができる。

 

例えば、長谷川等伯の作品の中に、それを見出すことができる。

 

天皇と日本について

 

日本人が天皇にこだわる理由が腑に落ちたと言う意見があった。

 

『忠』という言葉が度々この本の中で出てくる。

 

上下関係の階層構造によって限定された日本社会であるが、その究極的な上司又は父親としての天皇の存在がある。究極的に天皇に忠義を尽くす必要があると言うことだ。

 

 

それはある意味では、絶対的なものにすがりたいと言う思いの表れとも言えないか。

 

 

天皇自体は、アマテラス大御神の子孫と言うことになっている。

 

明治時代は一神教に近い天皇制があり、

 

そして、第二次大戦敗戦後、天皇人間宣言があった。

 

 

戦前のような強固に思想統制が敷かれた天皇制と言うのは明らかに問題があるが、覚えておかなければいけないのは、昭和天皇がいなければ、本土決戦になっていたと言うことだ。

 

 

夏目漱石『門』の読書会議事録

2025年11月の読書会では夏目漱石『門』を読んだ。読書会の議事録を公開する。

 

・明治の物語というよりも、現代の夫婦ドラマ。

 

『門』は1910(明治43)年に発表された小説である。

 

しかし、その内容は現代の夫婦の関係を先取りしたかのような新しさがある。

 

明治時代の法体系においては、妻は夫の所有物であるという前提があったが、この小説の夫婦の会話は現代の夫婦のように対等な感じを受ける。

 

当時としてはとても新しかったのではないか。

 

 

・不倫は刑事罰の対象であった。

 

当時は、姦通罪(1947年に廃止)があり、刑事罰の対象になった。

 

 

・堅くて重たいが、同時に、肩の力が抜けている文体

 

夏目漱石の文章は非常によく練られており、堅くて重たいが、同時に肩の力が抜けている。

 

明治時代の文学は、今の人が読むと堅い文章が多く、読みにくい作品が多い。

 

江戸時代までの漢文による表現を踏襲した作品が多かった。

 

それに対して、夏目漱石の文章は読みやすい。

 

こういう文学は、今までになかったのではないか。

 

 

夏目漱石は国内外の文学に精通しており、さらに落語が好きで会話文も巧みであった。

 

また、英文学を勉強する前は、漢文の勉強をしていた。

 

そういった豊かな蓄積の中から、全く新しい形の文章を作り上げた。

 

 

・何が倫理的な問題だったのか?

 

お米と安井が夫婦であったかどうかは明確ではない。

 

おそらく夫婦ではなかったが、同棲していたと思われる。

 

その後、お米と宗介がくっついた過程も明瞭には書かれていない。

 

当時、姦通罪というものがあった。

 

今でいう不倫や浮気とは別次元の重さがあった。

 

奥さんの不倫相手を夫が訴えれば、逮捕された(妻は夫の所有物とされていたので、夫が訴えることで刑事罰の対象になった)。

 

安井とお米は結婚していたわけではないとすれば、結婚せずに同棲していた時点で当時の倫理に抵触したのではないか。

 

その後、安井の友人の宗介がお米と付き合うことになった。つまり、結婚を前提に同棲していた友人の恋人を奪った形になった。

 

これが当時の倫理に抵触した。

 

安井とお米が結婚していたかどうかは別にしても、姦通罪の存在した明治時代の背景を考えれば、現代とは別次元の重さがあったのだろう。

 

 

ちなみに、同棲というものが世の中的に受け入れられるようになったのは、1973年に「神田川」という曲がヒットして以降のことのようだ。

 

また、女中さんと関係を持つということはOKだったようだ。伊藤博文の妾の話なども有名な話である。当時の明治日本では一般的なことであった。

 

 

・1947年まで、男性優位の法体系が存在した。

 

1947年まで、男性優位の法体系が存在し、家父長制度というものがあった。

 

そこでは、年配の男性が偉いということであり、また、男女同権も認められていなかった。

 

そういった背景とは異なり、お米と宗介の関係は対等であるように感じる。

 

 

また、お米と宗介の関係は、子供がいない夫婦にはピンとくるのではないかという意見も出た。

 

子供が生まれると、夫婦間での役割が明確になってくるので、逆に深い会話も起こりにくくなっていくようなこともあると思う。

 

ちなみに、高度経済成長期のあたりは、専業主婦が成立した時代であった。

 

現在では奥さんがあまりにも大変な時代になっているのではないか。つまり家庭のこともやりながら仕事のこともやるということであるから。

 

逆に育児休暇を取っていない男性が、実際に育児をすると負担が男性のほうに寄ってくるという意見も出た。

 

 

・子供を3回失っている。

 

お米は、流産と死産で子供を3回失っている。

 

子供を作ることが善とされた時代においては、子供を産まない妻は離婚される可能性もあった。

 

 

・宗介は友人の恋人を奪い、そして大学を辞めることになった。

 

宗介は友人の恋人を奪い、大学を辞めることになった。

 

現代の感覚からすれば、宗介が大学を辞めることになったのはやりすぎだと思うが、友人の恋人を奪うことは、社会が彼ら夫婦を捨てたと書かれているくらいの重さがあったのだろう。

 

大学まで辞めることは、現代の感覚からすれば、世界が狭いということになってしまうが、当時の文脈で読み解くべきである。

 

ちなみに、そのような人たちがどこに活路を見つけたかと言えば、満州へ行くことであった。

 

日本でうまくいっていない人が満州へ行った。

 

安井もご多分にもれず、モンゴル、つまり満州エリアに行った。

 

 

・すべてを捨てて、恋愛に全振りする生き方への憧れ。

 

すべてを捨てて、恋愛に生きる生き方は、憧れの対象になることがあるのかもしれない。

 

それは、立身出世主義のアンチテーゼと言えるのではないか。

 

社会主義の運動もそれに近いものがあると思う。

 

自分はそこまで、すべてを捨てて非合理な行動をしないとしても、映画や文学を通して疑似体験しているのかもしれない。

 

 

・お金の問題

 

夏目漱石の小説では、お金の問題が頻繁に出てくる。

 

今回の小説でも、相続財産の問題や、宗介の弟の小六の就学費用をどのようにするかなど、お金の問題がしきりに出てきた。

 

当時の貨幣価値を現在に直すと、だいたい6000倍くらいで考えてよいと思う。

 

夏目漱石は高収入であったが、義理の父などが、しきりにお金をせびりに来た。

 

 

・崖の上に住んでいる坂井の家に泥棒が入った

 

崖の上に住んでいる坂井の家に泥棒が入ったことで、坂井との付き合いが生まれた。

 

社会から見捨てられ、社会とのつながりを持っていなかった宗介にとって、唯一とも言ってよい社会とのつながりができた。

 

そして、皮肉なことに、その社会との接点が安井と再び接近するきっかけとなってしまう。

 

 

夏目漱石近代主義そのものに疑問を持っていた節がある。

 

夏目漱石は当時、明治維新を経て日本で起こっていた近代化に根本的な疑問を持っていた節がある。

 

これは先月読んだ『草枕』の中でも、列車を非個人的な均質的なシステムに、人間が取り込まれていくプロセスとして表している箇所からも、近代化に関して疑問を持っていたことがわかると思う。

 

夏目漱石の近代化への疑問を現代の文脈に置き換えて説明すれば、AIが相当するかもしれない。

 

つまり、AIによって失われてしまうものがたくさんあるとすれば、AIの普及自体に疑問を持つという人がいるのは自然なことであると思うが、夏目漱石の近代化への疑問は、現代の知識人がAIに疑問を投げかけることと、感覚的には近いのかもしれない。

 

 

・楽観的に生きている人には見えない重さがある。

 

夏目漱石の作品およびその人生観には、楽観的に生きている人には見えない重さと、悲観的な人生観が深いところにある。

 

 

・宗介とお米は、お互いの傷口には触れないで生きている。

 

お米は三回、出産に失敗したことで深く傷ついていた。

 

しかし、その心境を夫の宗介には伝えていない。

 

対して、夫の宗介は、お米と昔関係のあった安井が、自分の家のすぐ崖の上に住んでいる坂井の弟と一緒にモンゴルで事業をやっており、安井が坂井の家を訪ねる予定があることを聞き、動揺しているときもそのことをお米に伝えていない。

 

 

二人が見ている世界には落差がある。

 

この二人の落差は、小説の最後のページで、お米が春が来ていることをありがたく思っているのに対して、宗介がまた冬になると言っていることが象徴しているのではないか。

 

その反面で、これは良いことも悪いことも循環していくということを表しているのではないかという意見も出た。

 

二人の関係は時代を先取りしていたという意見もあった。洗練された二人の関係であるという意見も出た。

 

 

・禅寺に行くシーンは何のためにあるのか?

 

物語の序盤から一貫して宗介は非常に理知的な人間として描かれている。

 

罪の意識に対して宗教で救いを求めようとするが、結局、宗教の門をくぐることはできなかった。

 

宗介は宗教が入り込む余地が全くないような人間であり、この場面自体が全体から浮いてしまっている印象もある。

 

もしかしたら、夏目漱石は、一生逃れることができない罪の意識を背負いながら生きている宗介という人間の救われなさを描くために、この宗教の門の前に立つシーンを書いたのではないか。

 

とはいっても、禅寺で宗教に入り込もうとする場面や、自分の家の近くの崖の上に住んでいる坂井との関係ができたことをきっかけに安井と再会する可能性が出てしまったことなど、やや強引すぎる展開のある小説とも言える。

 

 

・堅くて内容が詰まっているが、自然な文体。

 

夏目漱石の文章は堅くて内容が詰まっているが、自然な文体である。

 

口語体の文章が夏目漱石によって作られたといってもいいだろう。

 

短文で非常に迫力のある文章が展開されることもしばしばある。

夏目漱石『草枕』新潮文庫版の読書会議事録

2025年10月の読書会では夏目漱石『草枕』を読んだ。読書会の議事録を公開する。

 

・全体として

吾輩は猫である』と同じく13章構成の小説である。これは当時、連載として小説を発表していたため、四半期が約13週間であることに対応して13章構成なのではないか。

草枕』には、夏目漱石の漢文の教養が存分に発揮されており、漢籍からの出典も多数ある。漢文の教養が求められるあたりは非常に理解が難しいが、注釈があるのでそれを頼りに読むことになる。

この小説のテーマとしては、非人情が芸術を作る上で重要であるという点であるが、この非人情をどう理解するかがなかなか難しい。

また、この非人情というのは、夏目漱石の人間嫌い、ひいては独身主義から出てくる考え方ではないか。

この小説は、ストーリーという意味での話の筋があるわけではなく、展開に乏しいのが特徴であるが、まさにそれを意図して、いわば「小説ならざる小説」という意図で作成されたと言われている。

 

・日本にも中国にも世捨て人の伝統がある。

日本人には鴨長明西行などの有名な世捨て人がいる。

しかし一概に、この小説は世捨て人的な生き方を賞賛しているわけでもない。

 

・主人公の画家にリアリティがない。

この『草枕』の主人公の画家はいろいろな教養を持っており、それがしばしば小説の中に出てくるが、これは夏目漱石自身が話しているような感じがして、小説の中の登場人物という感じがしない。

全体としてすべての登場人物に言えることであるが、登場人物のキャラが立っていないので、その意味で小説としては失敗しているのではないか。

よく理解しづらいという意味では、ゲーテの『ファウスト』第2部も「わけがわからないが面白い」という点では共通するが、『ファウスト』においては登場人物のキャラはしっかり立っている。

 

・言葉が一人歩きしていくのを楽しむ小説。

色恋沙汰や、人生のさまざまな出来事をストーリーに沿って描く小説のスタイルとは、全く違った小説である。

草枕』の中ではイメージと言葉がうまくリンクしない。どちらかというと言葉が一人歩きしていくのを楽しむ趣が強い。

 

・「非人情こそ芸術である」というテーゼを裏切る形でこの小説が書かれている。

第1章では、非人情こそが芸術であるというテーゼが明確に出されている。

しかし、最終章の最後のページでは、那美が日露戦争の戦地に赴く元夫と鉄道の駅で別れる際に見せた「憐れ」こそが芸術となり得る、というくだりで終わっている。

人情(那美の見せた憐れ)があってこそ芸術が成り立つという結末でこの小説は終わっており、その意味で第1章と第13章の主張は真逆となっている。

結局は、人情というものなしには芸術作品は作れない、というところに帰着したということではないか。

それが、非人情がいかに重要であるかというところから始まって、最後にやはり人情が大事であると展開するのが、この小説の要点なのではないか。

 

日露戦争への出征は、人情露出への伏線。

日露戦争のために満州へ出征するくだりは、まさに人情が絡んでくる世界への伏線となっている。

那美の元夫が戦場へ赴くときに、那美が「憐れ」な表情をする。

このいちばん最後の場面は、この小説全体でも重要な場面の一つと思われ、戦争ということが人情につながる伏線として機能している。

 

・非人情を体現した作品として、『トリストラム・シャンディ』などがある。

イギリスの小説の中には、『トリストラム・シャンディ』など非人情を体現したとされる小説が存在する。

 

・風呂場の場面では、人情が垣間見える。

非人情こそが芸術において重要であるというテーゼから始まり、最後にそのテーゼがひっくり返されるわけだが、

小説の中盤にも、非人情ではなく人情こそ重要であるという描写がある。

例えば、90ページから91ページにかけての風呂場のシーンがそれだ。

ここでは、画家、ミレーの《オフェリア》の水死体の絵についての記述がある。

水死するのが美しいものだという考えは、非人情の世界にはない考えであると思う。

ここでも、実は人情こそが重要であるということが書かれている場面と言えるのではないか。

 

・『草枕』の特徴としての近代社会批判および反帝国主義

明治時代の当時としては非常に先進的すぎる描写が、物語終盤第13章の174ページから176ページにかけて見られる。

「列車」に関する記述である。

この主人公の画家が列車について話している場面だ。

人々は「列車で行く」というが、画家は「列車によって運搬される」という。

詰め込まれた人間たちが、皆、同程度の速度で同じ駅に着く。

画一的なシステムに人間を放り込むという意味において、列車は個性を踏みにじっているものであると書かれている。夏目漱石の強烈な個人主義が表されている文章であり、近代社会へのアンチテーゼとさえ言える。

近代的な社会システムが巨大化していく中で、人間が画一的にシステムに取り込まれていくさまを、夏目漱石は批判している。

夏目漱石は、富国強兵の当時としては先進的すぎる個人主義者であり、戦後に個人主義が発展していく中でこそ、夏目漱石が国民的作家になっていった経緯と符合する。

というのも明治時代には、夏目漱石は国民的作家とまでは言えず、もっと売れっ子な作家は他にいた。

また、「自分の所有する土地の中でのみ自由が実現できる」という記述は、私有財産性をベースにした生産システムである資本主義的生産様式、並びに帝国主義への痛烈な批判である。

社会主義者の著作にはこのような言論は存在したと思われるが、夏目漱石は、あくまで『草枕』という文学作品の、しかも数ページのみに、このような記述を織り込んだ。

当時、社会主義運動が取り締まりの対象になることもあった。

当然、夏目漱石個人主義に関する自身の思想をそのまま表現すれば取り締まりの対象になった可能性もあるが、彼は作品(文章芸術)の中のほんの数ページでのみ、自身の個人主義や近代社会に対する批判を述べている。

 

・那美の元夫への「死んで御出で」というセリフは、反戦的な表現だろう。

那美が満州へ出征する元夫に向かって「死んでおいで」と言うセリフをかける。

このような女を描いている夏目漱石は、反戦的と言えないだろうか。

 

夏目漱石は、エリート主義に囚われた個人主義者、もしくは独身主義者か。

夏目漱石は、エリート主義に囚われた個人主義者、もっと言えば、イギリス的な独身主義者であったかもしれない。

夏目漱石は実業という世界からは離れていたし、また英語の教師として勤めることも好きではなかった。

しかし、彼は実際には文学エリートであり、芸術エリートである。

当時のエリートの意識としては、家庭を持ち子どもを持つことが是とされていた。

彼自身の思想としては、個人主義および独身主義のような価値観が深くあったかもしれない。

例えば、漱石寺田寅彦など男性の知識人サークルを自宅で作っていた。

また、結婚こそしているが、女性嫌いの傾向があったと思われる。

その意味で、夏目漱石はある種の個人主義者でありイギリス知識階級にみられたような独身主義者であったのかもしれないが、漱石自身にエリート意識があったこともあり、また当時としては社会規範として家庭を持ち妻子を持つことが一般的とされていたこともあり、結婚はしている。

その意味で、夏目漱石は社会的現実から逃れることができなかった、もしくは抗うことができなかった個人主義者・独身主義者と言えなくはない。

ちなみに、いまだに日本でも結婚して家庭を持ち子どもを持つということが推奨されるライフコースとされる地域も多い。特に田舎ではその傾向が顕著だ。

他者がそうしているから自分もそうするべきだという、ある種の「他者思考」と日本人的な集団思考の組み合わせにより、強固な風習としてこのような考え方は根強く残っている。

 

・今後の夏目漱石の読み方として。

国家や近代社会および家族というものを功利的な観点から、つまり実理的な観点からどのように読み込めるかというのは、夏目漱石の読み方として面白いのではないか。

 

夏目漱石の魅力は「わからなさ」にあるのではないか。

吾輩は猫である』にしても『草枕』にしても、漢文の知識や西洋文学の知識が盛り込まれており、それらをしっかりと理解するのは非常に困難であると言える。

夏目漱石が書いた文章の出典などを含めて理解するのはハードルが高い。

しかし、夏目漱石は国民的作家という地位を得ている。

草枕』や『吾輩は猫である』は特にわかりにくい作品と言えるが、その「わからなさ」こそが夏目漱石の魅力なのではないか。

 

夏目漱石『吾輩は猫である』の読書会議事録

2025年9月の読書会では夏目漱石『吾輩は猫である』を読んだ。読書会の議事録を公開する。

 

漱石は女嫌いで有名

 

漱石の奥さんは漱石との思い出を本にしている。

 

奥さんからすると、漱石はどうしようもない人だったとのこと。

 

自分勝手な人だったらしい。

 

逆に、漱石ファンの間では漱石の妻は悪妻だったと評価されている。

漱石は狂気を持っているので、奥さんが普通の人であればあるほど、狂人と普通の人が相性が悪いように、結果として悪妻となってしまうのかもしれない。

 

漱石の女嫌いはイギリスの学者の女嫌いに通じるものがある。

 

18、19世紀のイギリスの学者、ヒュームやアダムスミスは独身であった。

 

もちろん当時の制度として女性を高等教育から排除していた事実はある。しかし、他のヨーロッパの諸国と比較してもイギリス知識階級の女嫌いという傾向が存在したらしい。

 

彼らは男たちの中で話をしているが好きであった。

 

その点は、漱石の家に集まってくる知識人サークルと通じるものがある。

 

 

ちなみに、イギリスの人間嫌いの作家として、

 

デフォーやスウィフトらが挙げられる。

 

また女性排除の問題を文学にした作家として

 

ブロンデやウルフがいる。

 

漱石は東大英語教師としては不人気だった

 

前任の小泉八雲に比べて、漱石の授業は不人気だった。

 

漱石の文学論というのが出版されているが、

 

そこでは漱石は文学を物理学のようなかちっとした構造をあるものとして提示しており、

 

いかにも面白くない英文学の講義になりそうだ。

 

・明治時代においては天皇を中心とした日本国家に貢献することが人生の意味の源泉だった

 

現代社会においては、

 

国会議員は「国民」のため、市議会議員は「市民」のために政治をしていると思う。

 

対して、明治時代においては政治の念頭にあるは、天皇を中心とした「国家」であった。

 

明治の人たちは、右翼でも左翼でも、「天皇を中心とした国家をどうするか」ということを考えていた。

 

国家への貢献こそが人生の意味の源泉であった。

 

そのため明治の人たちは、政治以外は本当の仕事ではないと考えていた節がある。

 

その点文学は国家のためにならない本流から外れた活動である。

 

吾輩は猫である』の中では、

 

主人公の苦沙味(漱石自身がモデル)の家に知識人が集まってくる。

 

浮世離れた知識人と世俗的な価値観を体現する実業家が対照的に描かれている。

 

明治の世相において、漱石のサークルは浮世離れした人たちの集団だったのだろう。

 

 

・日本で新聞が売れるようになったきっかけは日清戦争

 

日清戦争(1894-95)の様子を知る手段を供給した新聞が戦争関連の記事を書くことで売れるようになった。

 

 

戦争とジャーナリズムは親和性が高い。

 

 

漱石の知識人サークルはどこか放浪者的

 

吾輩は猫である』の中では、

 

苦沙味の家に集まる知識人がサークルをなしている。

 

迷亭や独仙にしてもディレッタントな無職と言える。

 

彼らはどこか、知的な放浪者である。

 

 

その様子を猫に語らせた。

 

 

・博士になるか否かぐらいしか人物の判断基準がない

 

苦沙味サークルの寒月(物理学者の寺田寅彦がモデル)が金田令嬢の花婿候補となった。

 

令嬢の母親が苦沙味の家に、寒月について尋ねにくる。

 

特に、寒月が博士号を取得できるかを熱心に聞いてきた。

 

寒月が博士になれるか、どうかという点ぐらいでしか人物を評価できない金田に苦沙味は憤る。

 

ちなみに、漱石自身は博士号を拒否している。

 

世間の人が博士号うんぬんということによってしか、文学を評価できないことに憤りを感じていた。

 

漱石の評価は戦後に高まった

 

戦前の夏目漱石への評価はそれほど高くなかった。

 

吾輩は猫である』の中で、

 

個人主義が進めば人々は結婚しなくなるという趣旨の文章が綴られている。

 

 

結婚することが当たり前で、しかも個人と個人の結婚というよりも、

 

家と家との結婚が当たり前であった当時からすると漱石の考えた個人主義は時代の先を行き過ぎていた。

 

漱石の評価が高くなったのは、戦後に個人主義が広まっていったことと一体だと思う。

 

ちなみに、明治時代から一定の夏目漱石ファンはいたわけで、明治時代から漱石個人主義を支持する人も一定数いたのだろう。

 

・漢文の教養に裏打ちされた文章

 

作品に含まれる漢籍(漢文でかかれた書籍)の知識は敷居が高く、現代の読者にとって理解が困難であるとの意見が出た。

 

また、表現が大げさで一部は架空の引用を含んでおり、漢文の知識がなくては読むことが難しい箇所も多い。

 

 

・『吾輩は猫である』は日露戦争の直後くらいに発表された

 

吾輩は猫である』が発表されたのは日露戦争直後の時期である。

 

日露戦争では賠償金が取れなかった。

 

当時の通念からすると戦争で勝てば賠償金は獲得できるものであった。

 

戦争には多額のお金がかかり、戦時国債も大量に発行する。

 

戦争に勝利して、賠償金が入ってくればこそ帳尻が合う。

 

実際、その10年前の日清戦争では多額の賠償金が入ってきた。

 

しかし、日露戦争では勝利しても賠償金を獲得できなかった。

 

お金が入ってこなかったことで、軍国主義が一時的に立ち止まった時に、本書が出版された。

 

 

・物語のラストについて

 

ラストシーンで猫が水瓶に転落して、溺れ死ぬ。

 

強引な物語の終わらせ方とも取れるが、このラストシーンが意味する所はなんだろうか?

 

精神を病みがちであった漱石は元々発狂者の一歩手前であった。

 

有名な話であるが、小説を書くことが精神の安定をもたらしたらしい。

 

最後のページの猫のセリフを引用すると、

 

「吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀。有難い有難い。」

 

とある。

 

死ぬことで太平を得るという類の発想は日頃からリアルに死について考えている人間だからこそ出てくる考えのように思える。

 

漱石は虚無感を抱えていたと言われている。

 

・発狂寸前の漱石『夜明け前』で発狂した父親を描いた島崎藤村よりも重たく感じる

 

発狂や精神崩壊という意味で島崎藤村夏目漱石を比較してみたい。

 

島崎藤村自体が発狂したわけではないが、藤村は『夜明け前』で発狂した父親を主人公として書いた。

 

しかし、夏目漱石の方が島崎藤村よりも重たい人物という印象がある。

 

島崎藤村は文学を信じていたのではないか。

 

キリスト教徒としての信仰を持っていた島崎藤村はまさに神への信仰に近いような文学への信仰を持っていたのではないか。

 

島崎藤村は『破戒』を完成させるために、娘が餓死するなど家庭崩壊を起こしているが、それでも文学を信じ続けたその人格は不思議と漱石よりも重たく感じない。

 

対して、漱石はリアリストである。

 

東大から朝日新聞に移る時も、東大時代よりも良い給料をもらっている。

 

経済生活を回していくリアリストの顔を持っている。

 

漱石は宗教も持っていなかったし、文学の可能性も疑っていた。

 

その意味で、夏目漱石はあらゆる類の信仰を持っていなかったリアルリストで、発狂寸前の虚無主義者と言うのが1番近いかもしれない。

 

そんな発狂寸前の人間であった夏目漱石の精神を支えたものは何だったのであろうか。

 

おそらくは、小説を書くこと、小説の読者の存在、さらに弟子たちを中心としたサークルの3つであったのではないだろうか。

 

正岡子規夏目漱石

 

正岡子規は男気のある人であったと言われている。

 

正岡子規は若くして結核により死んだ。

 

漱石にはない強いものを持っている友人は早くに亡くなってしまった。

 

夏目漱石の小説の中にちりばめられている俳句的な要素は正岡子規に対する思いから出てきたものなのではないだろうか。

 

吾輩は猫である』と言うタイトル自体もどこか俳句的な趣がある。

 

・猫の意味

 

夏目漱石は猫で登場人物のあり方を客観化した。

 

また、自由というのが漱石の作品のテーマとなることが多く、漱石は自由に憧れていた。猫の持っている自分勝手さ、自由さに惹かれたのではないか?

 

・娘の結婚相手を偵察する母

 

金田の母が娘の花婿候補を偵察しに苦沙味の家にくる。

 

このような探偵行為は、

結婚は個人と個人の間で行われるものと言うよりも、家と家の間で行われるものであった当時の風習を考えれば、特別珍しいことではなかった。

 

現在ではお見合い結婚ではなく恋愛結婚が一般的となり、また個人主義もかなり程度進んだ。

 

 

恋愛至上主義個人主義の発展が結婚率低下の要因になっているのではないか。

 

 

福澤諭吉『文明論之概略』齋藤孝訳の読書会議事録

2025年8月の読書会では、福澤諭吉の『文明論之概略』齋藤孝訳について議論した。読書会時の議論の要約をアップする。

 

・次回から始まる夏目漱石について

解説書の定番は江藤淳柄谷行人大岡昇平漱石論を出している。小森陽一石原千秋漱石解説書も良いかもしれない。

次回から3ヶ月で漱石の小説を3冊扱う予定だが、全作品を通した漱石論を話す時間を設けても有意義ではないか。

 

・日本は福澤諭吉の問題意識をある程度乗り越えられた

巻末の斎藤孝氏による解説によれば、現代日本では常識になっている自由な言論の重要性や権利の平等性は、明治期にはそうではなかった。現代日本というのは、福澤諭吉や『文明論之概略』が作り上げたものである。

現在の日本では、自由な言論や権利の平等は一般的に広まっており、福澤が提起した問題をある程度乗り越えたと言える。また福澤は、日本が未開の非文明国になってしまう可能性を憂えていたが、その心配も克服できたと言える。

これに対し、日本にはいまだに会社の上司と部下、先輩と後輩といった権威に従属する人間関係の構造が見られるという意見もあったが、制度上では明治期よりも確実に平等な社会になっていると反論があった。

 

福澤諭吉は明るい性格

明治の三傑と呼ばれる西郷隆盛大久保利通木戸孝允は必ずしも明るい性格とは言えない。また、山縣有朋は陰険な性格だったとされる。これに対し、福澤諭吉大隈重信は明るい性格の持ち主であった。

明治三傑が死去した後、政治の中心は山縣有朋伊藤博文井上馨などの長州勢となった。

佐賀藩出身の大隈重信は、明治憲法を作る際に自らの意見書を天皇に密かに見せるなどして伊藤博文らの不信を買った。また、北海道開拓使の官有物を黒田清隆が薩摩閥と結びつきの強い人物に格安で払い下げようとした事件に巻き込まれ、政界から失脚した。

中津藩(現在の大分県)出身の福澤は大隈と親しかったこともあり、この事件で慶應義塾の弟子たちも政界から失脚した。その後、桂太郎西園寺公望が交代で総理を務める時期に、山縣有朋は軍部を中心とする体制を築いた。

ちなみに、大隈重信が後に総理大臣になった際、中国に二十一カ条の要求を突きつけ、日中関係が悪化していった。

 

 

・日本の電力業界は福澤の弟子が作った

日本の電力業界は、松永安左エ門や福澤桃介ら、福澤の弟子たちが築いた。電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門は福澤の影響を受け、慶應義塾で学んだ。福澤桃介は福澤の娘婿であり、後に日本初の女優・川上貞奴と不倫関係になったことでも知られている。

ちなみに福澤諭吉は、人物を評価する際、単に真面目で一生懸命な人間を評価したわけではないらしい。

 

・文明とは?

文明は客観的に優劣がつけられるものとして紹介されている。福澤は文明を3段階に分けている。

  • 文明地域:ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国
  • 半開(半文明国):トルコ、中国、日本などのアジア諸国
  • 野蛮の国:アフリカ諸国やオーストラリア

文明国は自らを支配し、他人の恩恵や権威に頼らない状態である。野蛮国は自然を制御する力に乏しく、偶発的な幸不幸に受動的であるとされる。欧米の文明地域は、日本が目指すべき方向として提示されている。

 

・文明と文化

文化とは習慣や癖の総体であり、文明とは科学技術など客観的に優劣を比較できるものである。

 

文明という言葉が現代であまり使われないのは、文化相対主義的な見方が広まり、地域間の優劣を暗示する「文明」という言葉が敬遠されるようになったためではないか、という意見が出た。

 

また、明治から昭和にかけて天皇中心の国づくりが進み、日本主義的な世相の中で西洋諸国を連想させる「文明」という言葉は使われなくなったのではないか、との指摘もあった。

 

・戦後、憲法を作る時に文明の問題をもっと考えるべきだった

 

戦後にGHQ主導で日本国憲法が作られた際には、文明の問題はあまり考慮されなかった。憲法のように普遍的なものを作成する場合は、今までの歴史的な蓄積を考慮するべきである。日本には、日本独自の文明の蓄積があったはずだ。

 

ところが、戦後の憲法は歴史が浅く、その意味で独自の文明的な蓄積を持たないアメリカ主導によってつくられた。憲法作成時に文明の問題はあまり考慮されなかった。

 

 

・知恵と徳の問題について

 

知恵と徳の問題について、福澤の見解が明快だ。

 

知恵と徳はどちらも大事であるが、知恵の方が大事だと福澤は書いている。知恵は科学技術などを含み、そのレベルを客観的にも検証可能である。現在の日本批判として、日本人は以前のような徳を持たなくなったという議論もあるかもしれないが、日本が経済などの分野で他の先進国に遅れを取りつつあるは、つまり、マーケットの自由競争で勝利できないのは、能力の無さが問題であり、日本人の徳の問題ではないことを理解しておくべき、という見解に全員賛同した。

 

 

・近年のインバウンドブームで日本独自の文化、文明に光りが当たりだしている。

 

インバウンド需要の増加により、日本の独自性が世界的に認識されるようになってきている。

 

 

それまでは、中国文明の1つのバリエーション程度の認知であったかもしれないが、円安もあっても旅行者の増大により、日本の独自性が世界的に認知されるようになってきた。

 

 

・最後の章、第10章自国の独立について

 

ここでは文明の目的は自国の独立であると書かれている。

 

第3章では、「文明は最も重要で最も広いものであり、人間のなすことすべてはこれを目的としている」と書かれていた。

 

つまり、本来は究極的な『目的』である文明が、『いま』の日本の状況では『手段』であると明言されている。

 

その後で、これはあくまでも文明の本質ではなく、初歩のこととして自国の独立が重要であると追記している。

 

これは現代にも通じる重要な問題点であるという意見が出た。

 

つまり、大衆的なナショナリズムを書くことでしか、現実的には文明論を書くことはできないのか?ということである。

 

人類の文明が発展する中で、国民国家という制度が続くのか?という現代的な問題ともつながる。

 

ここでは福澤の柔軟な思考力が伺える。

 

同じ本の前半で究極的な目的として位置付けられていた文明が、最後の章では、自国の独立のための手段と位置付けられているからである。

 

 

・現代の日本は自立した国か?

 

現代の日本を考えると軍事はアメリカに依存しているし、エネルギー自給率は13%、食料自給率は40%ほどであり、日本は自立した国とは言えないという意見が出た。

 

対して、ヨーロッパもNATOに依存しているし、エネルギーも食料も貿易という形で輸入することができる。全世界的にみれば日本は自立している方であろう、という意見が出た。つまり、主権(国家が自国の領土や国民を統治し、外部からの干渉を受けずに意思決定を行うことができる最高・独立・絶対的な権力)の定義だけで自立を考える必要はない。

 

 

国民国家グローバル化の未来について

 

戦後には2つの文明があった。

 

資本主義文明と社会主義文明である。

 

両者は互いに憧れをもっていた時代もあった。

 

1991年にソ連が崩壊し、2つの文明の対立は解消されたかに見えた。

 

まさにフランシスフクヤマが書いた歴史の終わりの議論である。

 

これからは自由と民主主義の価値を共有し、世界がその方向に向かって進んでいくかに見えた。

 

そして、その最前線にいるがアメリカなはずであった。

 

しかし、2001年に9/11のテロが起こった。

 

西洋文明が提示する、自由や平等の価値をイスラームが受け入れないなら、イスラームをいったん外して、世界人類の進むべき道を模索した。

 

しかし、その後の歴史を見れば、イスラームのみならず、欧米が主導した自由や民主主義の価値を至高の価値として人類は共有してないことが明らかになってきた。

 

中国はある程度の経済成長を遂げれば民主主義へ向かうだろうと見られていたが、その兆しは現在では見られない。

 

ロシアによるクリミア併合とウクライナ戦争は、ロシアにとっての『自由』の行使が暴力的な形で具現化した。

 

世界の文明のレベルが進むしたがって、コスモポリタンな人類社会が単一の方向に進むかにみえたが、現在の現実としては、ナショナリズム国民国家の枠組みがより強固になっており、分断化が進展している。

 

福澤諭吉は『文明論之概略』の第10章で、自国の独立の手段として文明を位置付けている。

 

福澤が第10章で「文明を自国独立の手段」としたように、150年後の現代においてもナショナリズム国民国家の文脈でしか現実的な文明論は語れず、コスモポリタンな世界共和国的文明論はユートピア的議論にとどまっている。

 

 

 

 

『日本の心』小泉八雲著 読書会議事録

2025年7月の読書会では小泉八雲の『日本の心』を読んだ。

 

読書会の議事録を公開する。

 

・浦島太郎を可哀想だと思うか?

 

現代に伝わる浦島太郎とは少し違う設定になっている。

 

本作では、亀の背に乗って海の中の竜宮城に行くのではなく、船に乗って常夏の島に行ったという設定になっている。

 

浦島太郎は乙姫との約束を破り、玉手箱を開けてしまう。すると、数百年という時を一瞬にして経て、死んでしまう。

 

小泉八雲によると西洋であれば、神々(乙姫など)に背いたら、生きながらえて、最大の悲痛を味わい尽くさなくてはならない。ギリシャ神話でゼウスに刃向かったプロメテウスなどがその例だ。

 

対して、浦島は一番よい時期を経て安楽のまま死にさらに死後に神となり祀られた(浦島神社)。

 

乙姫らと長年暮らした後に、どうして浦島の愚かしさを憐れむことができるか?

 

小泉八雲の見解としては、我々は我々自身を憐んでいる。だからこの物語が多くの人の魂を惹きつけるだと語る。

 

この箇所に関して、参加者から、そもそも浦島太郎を可哀想だとは思わないという意見が出た。

 

浦島は竜宮城(本作では常夏の島)で散々良い思いをして、その後にぽっくりと死んだのだから可哀想とは思えない。

 

対して、浦島太郎を可哀想だと思うという意見も出た。

 

 

 

・浦島太郎の物語に似た物語の存在

 

 

世界には浦島太郎と似たお話が存在する。

 

アメリカのリップ・ヴァン・ウィンクル列伝や、東南アジアにも似たお話が存在する。

 

浦島太郎のお話は、社会的なしがらみの多い男の理想を体現した話と言える。

 

つまり「時間と空間」を超越したお話という意味である。

 

浦島太郎はユートピア世界に居座れば良いのかもしれないが、戻ってきてしまう。

 

このあたりはが人間の悲しさでもあり、また、戻ってくるからこそ物語として成立するわけでもある。

 

 

小泉八雲が浦島太郎に惹かれた理由は?

 

 

小泉八雲の父はアイルランド出身のイギリス軍医であり、ギリシャに赴任した時にギリシャ人女性と結婚している。

 

その後、父の転任により小泉八雲アイルランドへ移り住む。

 

両親の離婚後の、小泉はアメリカへ移住し、新聞記者となる。

 

その時に黒人女性と結婚するも離婚。

 

同じ新聞社で同僚であったエリザベス・ビスランドという『風と共に去りぬ』のスカーレットオハラのような女性と親しくなる。

 

小泉八雲は放浪者であった。

 

それが浦島太郎のお話に惹かれた理由なのではないか。

 

 

また、小泉八雲は海が好きであった。たとえば、隠岐諸島は彼が日本で好きな場所の一つであった。

 

海が好きな小泉八雲は浦島太郎伝説に惹かれたのではないか。

 

 

 

小泉八雲と女性たち

 

小泉八雲はイギリス人としては小柄な160cmで、片目を失明していた。

 

決して女性にモテるタイプではなかった。

 

 

妻の小泉セツは18歳年下。武家の娘。

 

元々、女中として小泉八雲に仕えていた。

 

妻のセツにも離婚歴があり、経済的問題からの離婚であったようだ。

 

当時、東大で英語を教えていた小泉八雲はお雇い外国人の高級取りで、現在の年収にしたら4、5千万円の年収を得ていたとみられる。

 

これは東アジアの慣習かもしれないが、高級取りに一族郎党が群がった。妻の親族10人ほどを小泉が養っていた。

 

 

一説によると、彼の有名な怪談の著作は、奥さんが彼に語ったことが元になっているとのことだ。

 

 

さらに、小泉八雲を取り巻く女性として、初婚の妻である米国の黒人女性やギリシャ人の母がいる。

 

さらに後に東海岸の富豪と結婚した米国新聞社時代の元同僚であるエリザベス・ビスランドへの思いは晩年まで消えなかったとの憶測もある。

 

 

女性たちとの交流が小泉八雲を与えた影響はとても大きい。

 

 

・放浪者で特に成功者でもない人間が東大教授になった

 

有名な話ではあるが、小泉八雲の後任の東大英語教師は夏目漱石である。

 

夏目漱石の前任者の東大英語教師と聞けば、社会の王道を歩いてき成功者を想像しがちだが、小泉は各地を転々としてきた放浪者であり、文筆家であり、成功者でもない。

 

そんな人間が当時の東大教授になったのは奇跡的なことだ。

 

小泉八雲が東大に赴任するにあたり、

イギリス海軍武官のマクドナルドやチェンバレンの推薦があったとされている。

 

 

小泉八雲の授業は東大の学生からの評価が高かった。

 

普通、大学教授は授業で理論を話す。

 

しかし、文筆家である小泉八雲は、作者の感情を伝えようとした。

 

この授業が東大生に大変好評であった。

 

 

ちなみに、後任の英語教師の夏目漱石の授業はそこまで学生からの評価は高くなく、漱石の憂鬱の一つになった。

 

 

 

 

・両親を敬うことは、夫と妻、妻と子の関係よりも日本では重要。

 

これは明確に西洋と日本で異なる点であると思われるが、

 

 

日本では、両親を敬うことは、夫と妻、妻と子の関係よりも重要であると小泉八雲は書いている。

 

現代日本でもこの部分は変わっていないのではないか、という意見が出た。

 

それに対して、現代では、女性、とくに経済的に自立している女性は、この点はさばけている人が増えているという意見も出た。

 

 

・『ある保守主義者』という作品ついて

 

この作品は、厳格な武家の家で厳しいしつけを受けて育った男が、のちに、先祖代々の信仰を捨てキリス教徒になり、実家から廃嫡された。後に、キリスト教会からも離れ、西洋社会を遍歴し、後に日本に帰国し、優秀な指導者になったという話だ。

 

雨森信成という実在の人物をモデルにしているようだ。

 

 

この保守主義者の日本人青年はキリスト教徒に改宗した後、自分がキリスト教に改宗したのは不完全な論法によってであったとして、教会から離れている。

 

そもそも厳格に育てられた武家の嫡男がキリスト教徒になり、さらにその後、教会から離れたのだから只事ではない。

 

このあたりは理解に苦しむという意見もあった。

 

この疑問に対して、内村鑑三のような著名なキリスト教徒でも、キリスト教徒になった理由は聖書を最初から最後まで読んだ上で納得して入信したというよりも、札幌農学校で周囲からの圧力に屈して入信している、という意見が出た。

 

そもそも信仰を持つということに合理的な理由を見出せることはあまりないのではないかという意見もあった。

 

 

 

また、『日本の心』からも随所に読み取ることができるが、小泉八雲キリスト教が嫌いであったと思う。

 

小泉八雲の生まれた当初の宗教的なバックグラウンドとしてカトリックがある。

 

アイルランド問題とはプロテスタントカトリックという図式があるが、イギリス本国ではアイルランド人は正当になれなかった。

 

のちに移住した米国はプロテスタントの国であり、カトリックは疎外されることがあっただろう。

 

また、『日本の心』には随所に小泉八雲の仏教的な世界観が表現されている。

 

小泉八雲は仏教に共感することこそあったかもしれないが、キリスト教は嫌いであったと思われる。

 

この点で、ある保守主義者がキリスト教に改修し、その後、教会からは離れていることは、小泉八雲自身のキリスト教への思いと幾分か重なるようにも見える。

 

 

キリスト教文化圏では、虫や動植物を神聖視しない。

 

キリスト教ではある種の動植物界のカースト性のようなものが存在する。

 

その中で神に似せて造られた人間が一番えらい。

 

当然、キリスト教では虫を神聖視することはない。

 

『日本の心』の中で『虫の演奏家』や『草ひばり』という作品の中で、コオロギなどの虫の鳴き声を楽しむ日本文化が紹介されている。

 

小泉八雲は虫が好きであったことを窺い知ることができる。

 

・壮士階級(明治時代、自由民権運動の活動家)に否定的

 

小泉八雲は、p149の注で「壮士は近代日本の呪いの一つである」と書き、自由民権運動の活動家である壮士階級に否定的である。

 

さらに、「ロシアにおいてニヒリズムを生んだ原因と近代日本において壮士階級を生み出した原因とはかなりの共通点を持っている」と書いている。

 

小泉八雲が注釈で書いた、日本において壮士階級やロシアにおけるニヒリズムを生み出した原因とは何かということについて議論したが、明確は見解には至らなかった。