2024年11月の読書会では、『愚管抄』を扱ったので、議事録の一部を公開する。
最初に第1巻から読んでみたが、不慣れな固有名詞が多くなかなか頭に入ってこなかった。
著者の慈円は第3巻から書き始めたようで、第3巻以降の方が読みやすく感じた。
というもの、これまでこの読書会で読んできた
『源氏物語』
『平家物語』
に登場した名前や時代背景が登場したので、読みやすく感じた。
さらに、藤原摂関家と道長の登場など今まで別々の本やNHK大河ドラマ(『平清盛』、『鎌倉殿の13人』、『光る君へ』)で出てきた人物が一同にかいしており、『愚管抄』を通して一つの歴史の流れとして捉えることができた。
・源頼朝贔屓の本
頼朝は共に平氏と戦った武士たちは殺していったわけで、疑わしきは殺すというイメージがある。
・芸術が花開くには世の中が安定している必要がある?
平安時代の中期は世の中が安定していた。
源氏物語に象徴的であるように知的、芸術的なものが花開いた。
慈円は藤原道長を評価しているようであるが、平和な時代を統治した道長の功績は大きいのだろう。
・「道理」がキーワード
「道理」が『愚管抄』のキーワード。
色々な道理があり、時代と共に道理も変化するようで、なんとも捉えどころのない概念である。
・『愚管抄』が書かれたのが乱世であったが、現代は乱世か?
気候変動の問題は年々深刻さを増している。
格差や物価の上昇で人々は先を見て行動しなくなっている。
大学生の学力の低下の問題なども嘆かれている。
悲観せずにはいられない現実があるが、そもそも資本主義とは格差を前提したシステムであるという意見も出た。
ただ、現代における社会全体の劣化を論じる前に、
日本人の持つネガティブさ(悲観な性質)を考慮する必要はあるかもしれない。
北欧系の組織での実務経験のある参加者曰く、
北欧でこれからの若者はどうなるのか?
という質問をした。
すると、回答は日本で考えらないほどポジティブだった。
北欧ではより若者の未来についてポジティブに考えられている理由としては、「これからの若者はインターネットなど新しい情報源を使えるから」
「文明の力をつかってよりよりものを作っていけるから」
という理由であった。
対して、日本ではインターネットなどの技術を用いて、次世代がよりよい社会が切り開けるというポジティブな展望を耳にすることは少ない。
また、以前、本国北欧から労働状況の調査に入られた。
日本人の従業員も北欧から来た調査担当者と一対一で質問をされた。
誰が何を言ったかは、秘密にするという条件で。
結果は、驚くほどネガティブであった。
北欧人の上司は日本人は、こんなにもネガティブなことを言うのかと驚いた。
思うに、調査担当者が北欧人であったから日本人は正直に不満を言ったのではないだろうか。
正直に不満を言うことには、リスクも伴う。
誰が不満を言っているのかが、バレてしまえば、出世に影響する可能性もある。
しかし、日本人の従業員は相手が、北欧からの調査チームだったので、信頼したのではないか?
・第7巻を見せてはいけないと、慈円は言っていた?
P106では、
「ただし別巻は特に許された者以外に見せてはならない」
とある。
この別巻というのが山門(延暦寺)のことを書いた巻か、もしくは第7巻なのではという説もある。
第7巻では、末法の世における人材不足が嘆かれる。
法然については、p339からp401に書かれている。
先月の読書会がまさに法然の教えとの関係の深い書である『歎異抄』であった。
『歎異抄』の後半は当時広まっていた親鸞の教えの曲解に対する反論である。
『歎異抄』では、
南無阿弥陀仏と唱えれば、どんなことをしても救われるというのは誤解であると書かれている。
自分の計らいで、念仏を唱えるというよりも、阿弥陀様の御力により、「自然に」念仏を唱えるようになるということだ。
つまり慈円は『歎異抄』にはどちらと言えば肯定的だと考えるられる節がある。
『愚管抄』のp339で
「専従念仏の修行者となったならば、女犯を好んでも、魚鳥を食べても、阿弥陀仏は少しもおとがめにならない。一向専修の道に入って、念仏だけを信じるならば、かならず臨終の時に極楽に迎えに来てくださるぞ」とある。
これこそまさに、唯円の『歎異抄』の中で間違った専修念仏の解釈として紹介されている例であろうから、
慈円が、『歎異抄』を支持したのもの、慈円は親鸞が説いていたことの核心にある他力本願尾や自然(自分の計らいではなく、ある時に、自然に阿弥陀様の御力により念仏を唱えるようになる)の思想をよく理解していたのではないか。
つまり、慈円は法然や親鸞が言いたかったことの核心部分は支持するが、浅い理解をする人がたくさんいるが問題と考えたのではないか?もしくは、法然の思想の中身というよりも、その伝え方に問題があると考えていたのではないか?
花田は吉本隆明との激論で知られる戦後左翼の代表的評論家だが、現在は一部の
専門家以外には語られることはない。
花田の視点にたてば、
天台座主いう宗教界トップでいながら、歴史的必然性から武家政権を肯定した天皇制との
融和論に則り『愚管抄』によって後鳥羽上皇の天皇親政クーデター=承久の変を諌めた人間ということになる。
今で言えば父、兄を総理に持つ東大総長が、時の天皇に噛みついて正義よりも平和を求めたもの、ある意味象徴天皇制の祖の一面も有する政治的リアリストにして偉大な歴史主義者との見方もできそうである。
・日本と天皇制と諸外国の王政について
日本の天皇制は摂関制とこれを打破せんと導入した院政にも失敗して形骸化を続け、承久の乱(更に100年後の南北朝政変)敗北後は、天皇が儀礼遂行者と勲位授与など一部の形式的人事権者のみの立場に転落、以降700年間近く『愚管抄』主張の武士優位皇武合体体制が続いた。
これが見直され、奈良時代のような過剰天皇制に移行するのが明治維新以降80年、戦争に負け、「武士」を「国民」に置き換えた象徴天皇制への再見直と定着が戦後80年で、現在の天皇制は『愚管抄』思想回帰とも言える。
さて、北欧諸国は日本では高福祉(高負担だが)の左派リベラルの先行国家と位置付けられているが、フィンランドを除くスウェーデン・ノルウェー・デンマークの3カ国は今も王制である。
ロシアやドイツを含め領土戦争が激しかったスカンジナビア半島ゆえ、国境戦争のなかった日本と同一視はできないが、
世界で28ヶ国にまで減った数少ない王制国を何故北欧3王国王朝か守り続けているのか、
また、北欧王政が英国やベネルクス3国同様日本天皇制のあるべきモデルの役割を果たしうるものなのか?
これに対して、以下のような回答があった。
北欧の王室は日本の皇室全く違う。
まず神性はあまりおびていない。
国王、王妃は人間である。
ベルギーではチョコクッキーの缶に出ている。
その意味で、北欧やベルギーの王室は、
キティちゃんとミッフィーちゃんのような存在かもしれない。
普通にスピード違反で捕まったりする。
日本でいえば、吉永小百合などの人気のある往年の俳優という立ち位置ではないか。
という回答が北欧に詳しい参加者からあった。
・「日本の国は女人が完成する」という記述について
平安時代は妻の家への通い婚が普通であったので、女性によって物事が完成するという感覚が一般的にあったのではないか。
また、日本に中央集権的なシステムを導入したのは、男性の天皇(天智天皇や天武天皇など)であるが、
システムを整備し、完成度を高めたのが持統天皇などの女性の天皇であり、まさに女人が完成させたとの言えるのではないだろうか。