古典文学読書会のブログ

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『源氏物語 A・ウェイリー版』第4巻の読書会議事録

源氏物語ウェイリー版第4巻の読書会を行ったので、その議事録をまとめた。

 

 

・浮舟こそ初めて自立した女性して描かれた人物なのではないか?

 

薫と匂宮の両者と関係を持ち出口の見えない葛藤を経験をする中で、死に取り憑かれていく浮舟。

 

一命を取り留めた後、

 

男どもからの逃れる唯一の手段として明確な決意の元、出家をする。

 

結局、最後に薫に会うこともなく終わっていることも、浮舟の精神的自立を示唆しているのではないだろうか。

 

 

・浮舟はものを書くことによって自分の人生を見出した紫式部のようだ。

 

浮舟はたくさんの和歌を残してるが、自分についての歌も書いている。

 

浮舟は歌を詠むことで自分の人生を見出したのではないか。

 

 

・浮舟は恋愛の中に自分を閉じ込めることに終始することで自分の生き方を見出すことは決してできなかった。

 

浮舟は他の娘たちのように平穏で恵まれた生い立ちではなかった。

 

彼女は常陸の荒々しい土地で育った。

 

少女時代をそこで送った浮舟は、驚くほどの勇気と芯の強さをもっていた。(p321)

 

恵まれた生い立ちであれば、恋愛の中に自分を閉じ込めることもできたであろうが、浮舟は恋愛ワールドに自分を閉じ込めることができなかった。

 

 

 

・父の八宮の存在

 

結婚以外の形で、自分の納得できる人生を見出そうとしたという点では、腹違いの姉妹の大君や中君も近いものがあるが、大君は死んでしまい、中君は匂宮と結婚し俗世の中での暮らしとなる。

 

 

八宮の仏教への惹かれ方は、源氏や紫の上が出家したのとは違う性質の話かもしれない。

 

 

源氏や紫の上は俗世で成功した人物であり、出家はどこか人生の終盤を彩るアクセサリーに近い趣がある。

 

 

対して、八宮は俗世で必ずしも成功しなかったためか(東宮になれなかった)、仏教こそが人生の中心であった。

 

そんな父、八宮の影響が背景にあることも、大君、中君、浮舟を考える上で重要であろう。

 

 

・浮舟は他人にどう見られるかという視点に囚われている

 

もし薫と匂宮との逢瀬が暴露した時、世間は自分をどう見るか?

 

母は自分をどう見るか?

 

さらに、自分が死んで後に人々は自分をどう見るかということに囚われる。

 

そんな思いから、自分の手紙を焼いてしまう。

 

自分という個性が明確にないので、アイデンティティが他者によって容易に規定されてしまうのかもしれない。

 

 

・浮舟にとって自分が納得できる生き方への道は出家しかなかった。

 

ひたすら情欲の対象として自分を追いかけた男たちから自分を隔離する唯一の道が出家であったということは哀れだと思う。

 

女性が自分の人生を切り開く道は、結婚 or 出家しかなかった。

 

浮舟にとって自分の納得できる美しい人生への道は出家しなかったのであろう。

 

ラストのシーンで、薫は誰か他の男が浮舟を匿っていると思い込んで物語は終わる。

 

結局、薫をはじめとした男たちからしたら、浮舟は最後まで情欲の対象でしかなかったわけで、俗世で納得できる生き方をなど見出せるはずもない。

 

 

出家は、自分の納得できる人生を模索した浮舟にあった唯一の選択肢であったのではないか。

 

 

であるならば、作者の紫式部は自分の望む人生を送ることができなかったのではないだろうか。

 

ちなみに、

最後のシーンでの薫の思い込み(勘違い)、出家という理想と俗世という現実の中間を生きた薫という人間の限界を示唆しているとも言える。

 

 

 

・薫には柏木と女三宮の性格的な偏屈さが伝わっているのでは?

 

薫は源氏のようになれないという意味で、

 

エディプスコンプレックスを抱えた存在とも言える。

 

自分が固まりきらないという意味で、シェークスピアハムレットで近いモチーフを見出すことができる。

 

 

・浮舟を通して描かれた女性の理想とする自己像の追求というテーマについて

 

浮舟以外でこのテーマを描くことはできたか?

 

例えば、一貫して源氏に迎合しがちであった紫の上では、自分は、こんな人間でありたいという葛藤は、掘り下げることができかったであろう。

 

また、自分の理想とする自己像を追求したがそれが実現できなかったのは六畳の御息所ではないだろうか。

 

当時は(今でも多分にあてはまるだろうが)、自己を追求する代わりに役割に限定されていた。

 

 

光源氏の特殊性

 

源氏は自己実現が必要ない人であり、もっと言えば自己を持たない人であった。

 

これは全てが許される特赦な地位にあったためではないだろうか。

 

この物語ではあくまで女性たちの人物設定がまずあり、あくまでも女性たちを書くために源氏が存在存在しているのではないだろか。

 

・姉妹訳の螺旋訳

 

今回、翻訳とは何かということを考えさせらた。

 

また今回、螺旋訳の仕事をしたのが女性ということもよかったのだろう。

 

などの意見が出た。

 

源氏物語ウェイリー版の螺旋訳凄かった。