古典文学読書会のブログ

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『千夜一夜物語』バートン版 第2巻 大場正史訳の読書会議事録

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千夜一夜物語』バートン版第2巻の読書会の議事録を公開する。

 

・せむしの男の物語の床屋について。迷惑な人物ではあるが、知恵者であることも否めない不思議な登場人物。ヨーロッパの昔話に出てくる愚者を装った道家(クラウン)に通じるものがある。

 

・聖なる双子の近親愛のモチーフは他の物語/神話でも確認できる。今回はオマル王の娘、ヌザート・アルザマンと、息子ザウ・アル・マカンの関係に見て取れる。

 

貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)というのが千夜一夜物語で繰り返されるモチーフ。貴種流離譚とは、説話類型の一つ。貴い家柄の英雄が本郷を離れて流浪し、苦難を動物や女性の助けなどで克服してゆく話。古事記大国主命(おおくにぬしのみこと)、源氏物語光源氏の須磨・明石などが例として挙げられる。(広辞苑)

 

・魔女ザト・アル・ダワヒはすごくキャラが立っている。この登場人物の原型は何なのだろうか?ハディースによると、初期のイスラームでは女が族長というケースもあったらしい。イスラームでは近代以降の方が男女差別が激しい地域が存在するだろう。

 

・2つの教訓話の比較をしたら面白いかもしれない。一つは、ヌザート・アルザマンが兄弟関係にあることを知らずに結婚したシャルルカンに対してした教訓話。もう一つは、ザト・アル・ダワヒが手下の娘たちを使ってオマル王にした教訓話。前者が成功へ道標となる教訓話。後者が破滅へと至るの教訓話と介することはできるだろうか?

 

千夜一夜物語は起源を辿ると、ペルシャの昔話やインドの恋物語に至ることもらしい。

 

・恋愛について。

当時の中東地域に自由恋愛の概念があったのかは疑わしいのだが、その割には『ヌルアルディンアリと乙女アニス・アル・ジャリスの物語』や『恋に狂った奴ガーニム・ビン・アイユブの物語』など西洋的な恋愛を匂わせる作品が多く登場した。ちなみに、古代イランでは恋愛の概念はあったらしい。例えば、悲劇的な恋愛を描いた『ホスローとシーリーン』などがあげられる。ちなみに、イスラーム圏の映画では恋愛が描かれることは少ない。対して、インド映画は恋愛がテーマになることが多い。カーストの制約によって果たされたかった恋物語が最終的に親の決めた人と結婚することによって終わるいうストーリー展開がよく見受けられるようだ。

 

また、歴史的に、結婚をした後に恋愛が始まるという文化圏もあるようだ。現代には当てはまらないかもしれないが、近代初期のフランスなどでその傾向を見て取れる。結婚をして親元を離れたことで自由に恋愛ができるということもあるし、キリスト教的な束縛という文脈もあるようだ。また、中国史の中にも恋愛は結婚後に始まるという文化があるようで、『恋の中国文明史』という本もある。

 

ちなみに、日本は江戸時代は恋愛については大変大らかにであった。一夫一妻制が定着したのは明治維新以降のようだ。

 

千夜一夜の中に見るベドウィン差別について。ベドウィンとはアラビア半島北アフリカに住むアラブ系遊牧民族だ。バートン版におけるバダウィ人がベドウィンである。しばしば粗野で野蛮な登場人物として表象されている。ザウ・アル・マカンの双子の妹ヌザート・アルザマンを騙してさらったのもバダウィ人、つまりベドウィンである。

 

 

・やっぱり読みにくい千夜一夜物語

千夜一夜物語は近代以前の物語である。色々な面白い話が続いていくが、近代以降の文学のように、個人の内面と社会との軋轢などが描かれるわけではない。坂口安吾的に言えば、「文学のふるさと」の一つの形であり、文学の原型の一つを提示していると思うのだが、やはり読みにくかった、という感想があった。また、最終的には楽しめるようになったが、感想を述べるのが容易ではない、という意見もあった。対して、自然と物語に入っていけて楽しめたという感想もあった。

 

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