古典文学読書会のブログ

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ハディース『ムハンマドのことば』小杉泰(編・訳)の読書会議事録

 

先日行われたハディースの日本語訳、『ムハンマドのことば』小杉泰の

 

読書会の議事録の一部を共有したい。

 

イスラーム初期の宗教の政治利用についてどう考えるか?ムハンマドにはそこまでの政治的野心があったとは思えない。全てが政治的な動機からことが起こると考えるのは考えすぎかもしれないと思う。

コーランが書かれたのが政治的な動機があったようには思えない。

なぜイスラームがここまで広まったのか?そこがわからない。20億人の信者。世界史の謎。

 

 

p79の夜の旅の箇所に関して、預言者のランク付が順番によってなされているのではないか?アブラハムが一番最後に来ていて、一番偉い?

 

 

聖人伝というジャンルについて。プラトンソクラテス、弟子がブッダ、弟子がキリストを、色々な聖人伝の中でのハディースの特殊性とは?誰がいつ語ったことなのかが書かれているので歴史学的な手続きはわりかしはっきりとしている。コーランは神の言葉、ハディースムハンマドの言葉と棲み分けがはっきりとしている。

 

 

西洋主導の近代化は世界を開かれたものとして受けれていくプロセスだったのでは?天道説から地動説、大航海時代の世界の発見、さまざまな文化の発見。それに対してイスラームは世界を閉じたものとして認識しているのではないか?その点で、西洋主導の近代化とは全く別の世界観を提示している。懐疑主義的な西洋流の近代教育を受けた育った人間には相容れない部分もあるのでは?

 

 

翻訳した瞬間に自由にものが考えられなくなる。ローマ教皇、法王。法は仏教用語。皇は天皇天皇仏教用語に惹きつけられた概念になっている。

 

 

ムハンマドの言葉、79ページの夜の旅で礼拝の回数が1日5回になる過程が記されている。これは聖書の創世記の18章16節からのソドムのためのとりなしの話に似ている。

 

 

歴史が立ち上がる瞬間に立ち会った。教友が資料を書類化していくプロセスに立ち会う。伝承者の名前を逐一調べながら読んだ。

 

 

 

 

 

p555の天地創造の箇所の聖書との違いについて。光を作ったり、大地を作ったりした点は聖書と共通するが、その順番は聖書と違う。休日もキリスト教が日曜日、イスラームは金曜日。

 

 

p556の「人の誕生」において、アッラーが子宮に子供を担当する天使を任命するとある。人間の誕生に天使が介入するという点がイスラムの世界観において重要な点になるであろう。P303の注によると、子宮のつながりは、母親を通じる繋がりを意味し、血縁者とのつきあい、助け合う関係のベースを意味する。これはイスラームでは重要な社会的規範とされている。子宮(ラヒム)と慈悲(ラフマ)が同じ語根から発することを、子宮のつながりの重要性と結びつける考え方もある。

 

 

西洋キリスト教社会には個人主義がある。対して、イスラーム圏には個人主義が弱いのではないか。この点は相容れない価値観の対立点となりうる。ちなみに日本には明治維新では個人主義は浸透しなかったが、戦後、ある程度、個人主義が浸透した。

 

 

なぜ西洋近代社会で「個人」が誕生したのか?

イスラームから見た世界史』という本を書いたタミム・アンサーリーよると、イスラームでは個人が聖書を自由に解釈することを重視したプロテスタントによる宗教改革は起きようがなかった。その理由は、イスラームウンマイスラーム共同体をあり方を規定するものであり、個人による聖典の自由な解釈は、集団を重視するイスラームの教義の根本に反するからである。

また、西洋で宗教改革が起きた背景には、カトリック教会という組織の腐敗に対する人々の反発があったが、イスラームにおいてはカトリック教会のような宗教組織はそもそも存在しなかった。

 

これに対して、「個人」が西洋で誕生した理由は、ユダヤキリスト教イスラームの教義の違いというよりも、教義以外の歴史的な要因が大きいのではないか?という意見が出た。

具体的には、中世西洋における農業技術の進歩、十字軍、ペストの流行の歴史的要因が大きいのではないかという意見が出た。例えば、ペストの流行により、西洋で人口が激減すると、労働力不足が起きた。結果、当時の農奴(自由を制限された農民。土地に縛られ、移転の自由を持たない)が貨幣を支払うことで土地を自由に借地できるようになったこと、などの歴史的な要因の方が教義よりも、「個人」の誕生においては重要だったのではないか。

 

 

 

 

 

断食について。なぜ断食をするのか?

究極的にはアッラーが言っているから。色々な宗教で断食は推奨されている。自分のエゴに打ち勝つような霊的な実践と考えられているのではないだろうか。適度な断食は健康促進効果がある。

 

 

p458の責任のついて

ハディースによると、誰もが何かの保護者であり、自分が保護するものに対して責任をおっている。男性は家族の保護者であり、妻は夫の家と子供に対して保護者である。責任の概念が自立した個人を前提していない点は、西洋近代社会との相違、もしくは対立点となりうる。自立した個人の連帯を前提にした社会では、結果に対する責任は個人が負うことが前提され、個人の自立が推奨される。

対して、イスラームでは個人は集団の中に埋め込まれており、個人は他者に対して責任を持つとハディースにはある。前者の場合は結果は個人の責任に帰せられる社会であり、自由は尊重されるが、他人が見捨てられてしまうこともある。後者のイスラーム社会は他人を見捨てない社会であるが、自由は抑圧される。

 

 

 

 

p566の終末の兆候において、イエスキリストが再臨した際の記述が興味深い。イエスは、イスラームの人々のために戦い、十字架を壊し、豚を殺し、ジズヤ(人頭税)を廃止する。アッラーは彼の時代にすべての宗教をイスラームを除いて廃絶する。彼は偽の救世主を倒し、地上に40年暮らして、世を去る。

人頭税に関しては、福音書の出てくる、カエサルものはカエサルへという有名な記述の前段でも登場するので福音書の記述と関連がある可能性がある。

ちなみに、40という数字も頻出するであるが、これはムハンマドの召命が40歳の時であったことと関連しているのではないだろうか。