2024年5月に
『古事記』蓮田善明(訳)の読書会を行ったので、議事録を公開する。
・古事記の内容を全面的に史実と考えた本居宣長が作ったのが国学。
これが戦前に教育勅語として教育に導入された。
そして明治期の日本は特別な神の国であるという主張につながっていく。
戦前は、今のように多くの人が高等教育を受けるような時代ではなく、
一般的に教養のレベルも低く、また戦前の教育政策もあり、古事記の内容を全面的に事実と考える人が多かった。
ちなみに世界各地の創生神話でも、神々の歴史と人間の歴史、神話の世界と史実の世界が連続している。
・悪徳、殺人、汚物の頻繁に描かれるストーリー
なぜ汚物や殺人、悪徳に溢れたストーリーが日本人の聖なる物語なのか?
日本文化の根底には、悪、死、汚物などを抱え込めるものがあるのでは?
善悪二元論ではなく、両方を包み込むものが日本文化の根底にあるのではないか。
ちなみに、インドのガンジス川は、死者も汚物も包み込む。
価値観も現代と異なっていたと思う。
現代のかっこいい、美しいは、あまりに過剰になっている可能性がある。
・王は悪ければ悪いほど魅力的にもなる。
悪王の魅力はどこにでもある。
もしかしたら必ずしも上手くいっていない体制を正当化する意味でも戦前の体制とも相性が良かったのではないか?
・関西の地名のルーツがわかる
京都の乙訓(おとくに)の地名のルーツなど、関西の地名のルーツが古事記でわかる。
対して、関東はまだ未開拓の地域が多かったためかあまり地名も出てこない。
そもそも当時は関東の地名というのはあまり存在しなかったのではないか。
言葉の数が圧倒的に少ない状況であったろうから、少ないことばの選択肢の中から無理やり引っ張ってこないとアイデンティティが作れなかったのではないか。
・美しい女と強い男という理想的なイメージは当時からあった。
美しい女や強い男という人間の動物的な側面に訴える男女観は、ギリシャ神話含めて色々な創世神話でも見られる。
このような人間の動物的な本能に根ざす価値観を相対化しようとしているのが現代のフェミニズムではないか。
・天皇の寿命の表記について
100歳を超える天皇が存在していたと書かれているが、文字通りの事実というわけではないだろう。
紀元前660年を日本という国の元年とする説も、文字通りの事実というわけではないだろう。
・ヤンキーが王になった
ヤンキーが王になった感がある。
非合理さの持つ力というのはあるのではないか。
・女性の位置付け
スサノオにとってのクシナダヒメなど、女性が男性に力を与えているケースがある。
対して、女性が使われている感じが否めないという意見もあった。
・ヤマトタケルの騙し討ちは卑怯?
ヤマトタケルは、女装したり、偽の刀を相手に与えて、相手を騙して相手を殺してきた。
これも現代の価値観で裁くことはできないだろう。
騙し討ちは賢いという評価もあったのであろう。
戦(いくさ)はまず勝つことが大事である。
・なぜ大和が台頭したのかは良くわからない。
現在の島根県に拠点を構えた出雲族は、鉄を作る技術を持ち強い勢力を誇った。
出雲族が強かった理由としては、場所的に、中国、朝鮮と交易がしやすかった点もあると思う。
周辺国として他にも、現在の福岡や、吉備(岡山県)などがあった。
なぜこの中で大和が他を圧倒することになったのかはわからない。
・物語としても古事記は面白い。
早い展開、スペクタクルな展開が面白い。
物語としても古事記は面白い。
・女性の性格描写が少ないのでは?
女性に対して性格描写が少ないのは、女性に対してキャラクターや性格を認めていないのでは?という意見が出た。
それに対して、そもそも性格というものがあまり存在しない時代であったのではないだろう、という意見が出た。
動物に性格があると最近まで考えられていなかったように、
人間に性格というのもが存在するという前提のない時代だったのかもしれない。
また、陰部が強調されるような描写は女性蔑視では?
という意見に対して、陰部の話は産むという神聖な営みと関係があるので、必ずしも女性蔑視とは言えないのではないか、という意見が出た。
・~の子として女性を識別することについて。
そもそもアイデンティティが多様でなかったであろうし、~の子としてしか女性を識別することができなかったのではないだろうか。
結婚相手として自分をアピールするにあたり、先祖代々の土地があることをアピールする必要があった。
土地付き娘であることをアピールするためにも、~の子として自分をアイデンティファイする必要があったのではないだろうか。