2025年10月の読書会では夏目漱石の『草枕』を読んだ。読書会の議事録を公開する。
・全体として
『吾輩は猫である』と同じく13章構成の小説である。これは当時、連載として小説を発表していたため、四半期が約13週間であることに対応して13章構成なのではないか。
『草枕』には、夏目漱石の漢文の教養が存分に発揮されており、漢籍からの出典も多数ある。漢文の教養が求められるあたりは非常に理解が難しいが、注釈があるのでそれを頼りに読むことになる。
この小説のテーマとしては、非人情が芸術を作る上で重要であるという点であるが、この非人情をどう理解するかがなかなか難しい。
また、この非人情というのは、夏目漱石の人間嫌い、ひいては独身主義から出てくる考え方ではないか。
この小説は、ストーリーという意味での話の筋があるわけではなく、展開に乏しいのが特徴であるが、まさにそれを意図して、いわば「小説ならざる小説」という意図で作成されたと言われている。
・日本にも中国にも世捨て人の伝統がある。
しかし一概に、この小説は世捨て人的な生き方を賞賛しているわけでもない。
・主人公の画家にリアリティがない。
この『草枕』の主人公の画家はいろいろな教養を持っており、それがしばしば小説の中に出てくるが、これは夏目漱石自身が話しているような感じがして、小説の中の登場人物という感じがしない。
全体としてすべての登場人物に言えることであるが、登場人物のキャラが立っていないので、その意味で小説としては失敗しているのではないか。
よく理解しづらいという意味では、ゲーテの『ファウスト』第2部も「わけがわからないが面白い」という点では共通するが、『ファウスト』においては登場人物のキャラはしっかり立っている。
・言葉が一人歩きしていくのを楽しむ小説。
色恋沙汰や、人生のさまざまな出来事をストーリーに沿って描く小説のスタイルとは、全く違った小説である。
『草枕』の中ではイメージと言葉がうまくリンクしない。どちらかというと言葉が一人歩きしていくのを楽しむ趣が強い。
・「非人情こそ芸術である」というテーゼを裏切る形でこの小説が書かれている。
第1章では、非人情こそが芸術であるというテーゼが明確に出されている。
しかし、最終章の最後のページでは、那美が日露戦争の戦地に赴く元夫と鉄道の駅で別れる際に見せた「憐れ」こそが芸術となり得る、というくだりで終わっている。
人情(那美の見せた憐れ)があってこそ芸術が成り立つという結末でこの小説は終わっており、その意味で第1章と第13章の主張は真逆となっている。
結局は、人情というものなしには芸術作品は作れない、というところに帰着したということではないか。
それが、非人情がいかに重要であるかというところから始まって、最後にやはり人情が大事であると展開するのが、この小説の要点なのではないか。
・日露戦争への出征は、人情露出への伏線。
日露戦争のために満州へ出征するくだりは、まさに人情が絡んでくる世界への伏線となっている。
那美の元夫が戦場へ赴くときに、那美が「憐れ」な表情をする。
このいちばん最後の場面は、この小説全体でも重要な場面の一つと思われ、戦争ということが人情につながる伏線として機能している。
・非人情を体現した作品として、『トリストラム・シャンディ』などがある。
イギリスの小説の中には、『トリストラム・シャンディ』など非人情を体現したとされる小説が存在する。
・風呂場の場面では、人情が垣間見える。
非人情こそが芸術において重要であるというテーゼから始まり、最後にそのテーゼがひっくり返されるわけだが、
小説の中盤にも、非人情ではなく人情こそ重要であるという描写がある。
例えば、90ページから91ページにかけての風呂場のシーンがそれだ。
ここでは、画家、ミレーの《オフェリア》の水死体の絵についての記述がある。
水死するのが美しいものだという考えは、非人情の世界にはない考えであると思う。
ここでも、実は人情こそが重要であるということが書かれている場面と言えるのではないか。
明治時代の当時としては非常に先進的すぎる描写が、物語終盤第13章の174ページから176ページにかけて見られる。
「列車」に関する記述である。
この主人公の画家が列車について話している場面だ。
人々は「列車で行く」というが、画家は「列車によって運搬される」という。
詰め込まれた人間たちが、皆、同程度の速度で同じ駅に着く。
画一的なシステムに人間を放り込むという意味において、列車は個性を踏みにじっているものであると書かれている。夏目漱石の強烈な個人主義が表されている文章であり、近代社会へのアンチテーゼとさえ言える。
近代的な社会システムが巨大化していく中で、人間が画一的にシステムに取り込まれていくさまを、夏目漱石は批判している。
夏目漱石は、富国強兵の当時としては先進的すぎる個人主義者であり、戦後に個人主義が発展していく中でこそ、夏目漱石が国民的作家になっていった経緯と符合する。
というのも明治時代には、夏目漱石は国民的作家とまでは言えず、もっと売れっ子な作家は他にいた。
また、「自分の所有する土地の中でのみ自由が実現できる」という記述は、私有財産性をベースにした生産システムである資本主義的生産様式、並びに帝国主義への痛烈な批判である。
社会主義者の著作にはこのような言論は存在したと思われるが、夏目漱石は、あくまで『草枕』という文学作品の、しかも数ページのみに、このような記述を織り込んだ。
当時、社会主義運動が取り締まりの対象になることもあった。
当然、夏目漱石の個人主義に関する自身の思想をそのまま表現すれば取り締まりの対象になった可能性もあるが、彼は作品(文章芸術)の中のほんの数ページでのみ、自身の個人主義や近代社会に対する批判を述べている。
・那美の元夫への「死んで御出で」というセリフは、反戦的な表現だろう。
那美が満州へ出征する元夫に向かって「死んでおいで」と言うセリフをかける。
このような女を描いている夏目漱石は、反戦的と言えないだろうか。
・夏目漱石は、エリート主義に囚われた個人主義者、もしくは独身主義者か。
夏目漱石は、エリート主義に囚われた個人主義者、もっと言えば、イギリス的な独身主義者であったかもしれない。
夏目漱石は実業という世界からは離れていたし、また英語の教師として勤めることも好きではなかった。
しかし、彼は実際には文学エリートであり、芸術エリートである。
当時のエリートの意識としては、家庭を持ち子どもを持つことが是とされていた。
彼自身の思想としては、個人主義および独身主義のような価値観が深くあったかもしれない。
例えば、漱石は寺田寅彦など男性の知識人サークルを自宅で作っていた。
また、結婚こそしているが、女性嫌いの傾向があったと思われる。
その意味で、夏目漱石はある種の個人主義者でありイギリス知識階級にみられたような独身主義者であったのかもしれないが、漱石自身にエリート意識があったこともあり、また当時としては社会規範として家庭を持ち妻子を持つことが一般的とされていたこともあり、結婚はしている。
その意味で、夏目漱石は社会的現実から逃れることができなかった、もしくは抗うことができなかった個人主義者・独身主義者と言えなくはない。
ちなみに、いまだに日本でも結婚して家庭を持ち子どもを持つということが推奨されるライフコースとされる地域も多い。特に田舎ではその傾向が顕著だ。
他者がそうしているから自分もそうするべきだという、ある種の「他者思考」と日本人的な集団思考の組み合わせにより、強固な風習としてこのような考え方は根強く残っている。
・今後の夏目漱石の読み方として。
国家や近代社会および家族というものを功利的な観点から、つまり実理的な観点からどのように読み込めるかというのは、夏目漱石の読み方として面白いのではないか。
・夏目漱石の魅力は「わからなさ」にあるのではないか。
『吾輩は猫である』にしても『草枕』にしても、漢文の知識や西洋文学の知識が盛り込まれており、それらをしっかりと理解するのは非常に困難であると言える。
夏目漱石が書いた文章の出典などを含めて理解するのはハードルが高い。
しかし、夏目漱石は国民的作家という地位を得ている。
『草枕』や『吾輩は猫である』は特にわかりにくい作品と言えるが、その「わからなさ」こそが夏目漱石の魅力なのではないか。