2024年9月の読書会では、
『平家物語』古川日出男訳の後半部分を読んだので
読書会議事録を公開する。
・『平家物語』古川訳は、後半に進むにつれて読みやすくなる。
語り口調にスピード感が増し、没落を描いた部分では特にそのスピード感が際立つ。
夢枕獏の『陰陽師』のような雰囲気が感じられる、という意見もあった。
・大河ドラマの印象は強い
2012年の大河ドラマ『平清盛』では、義経役をタッキーが演じていた。その印象が非常に強く、義経=タッキーというイメージが根強く残っている。
最近では、『鎌倉殿の十三人』で菅田将暉が義経を演じたため、両方を観ることで義経に対するイメージが中和されていく、という意見も出た。
また、尾上菊五郎が源義経、富司純子が静御前を演じた印象もある。
・義経の天才伝説について。
源義経の軍事的天才像は、『義経記』の後に作られた可能性が高いと言われている。ちなみに、町田康さんの作品『ギケイキ』は義経を主人公として描いている。
中原中也は医者の息子に生まれるが、うまく世の中を渡れない。中退の学歴を繰り返す。挫折者であることが彼の作風を影響を与えている。ヤンキー的な要素がある。
小林秀雄に愛人を奪われた。小林秀雄はその愛人を別れてから、体制化していく。
詩は言葉であって言葉でない。言葉以前の問題がある。西田哲学で言う純粋直観。
小林秀雄は彼の世代の中では別格の文学者であった。拡張高い文体。悲劇的な要素もある。
法然は当時はいわばカルト認定されていた。
親鸞も元々はカルト認定されていた。
つまり体制側の宗派ではないわけである。
平安時代になると、空海と最澄が天台宗と真言宗を開き、桓武天皇が韓国系の血筋を引いていたこともあり、これらの宗派も体制化していった。
一方、法然や親鸞の宗派は「南無阿弥陀仏」と唱えることで救済を説き、体制の宗教ではなかった。
・灌頂の巻の後白河院の訪問も史実ではないだろう。
建礼門院が本当に大原で亡くなったかも不明である。
また、後白河院が建礼門院を訪れ、建礼門院が彼に説法するという出来事が実際に起こりえたとは考えにくい、という意見も出た。
・後白河院について。
彼は頼朝を使って義経を討伐させるなど、策士としての印象が強い。
しかし一方で、単に「漂っていただけ」ではないかという見方もあり、常に勝ちそうな側につこうとしただけ、という意見も出た。
この点で、昭和天皇を思い出すという声もあった。
・女性について。
宮中での恋愛を描いた『源氏物語』に対して軍記物の『平家物語』では、
女性は、弱く、守られる側
男性は、戦い、守る側
として描かれる。
ただし、巴御前はその例外である。
・平家の急速な上昇と品性の向上?について
平家の中でも、堂上平氏は、時忠や清盛の妻の二位殿の系譜であり、早くから貴族化した。
対して、地下平氏は忠盛や清盛の系譜であり、軍人としてのし上がってきた。
地下平氏の堂上平氏へのジェラシーのようなものは常にあったようだ。
・滝口入道の出家について
雑仕女の横笛の叶わぬ恋。
絶望し、滝口入道が出家する。
雑仕女である横笛への叶わぬ恋に絶望し、滝口入道は出家する。
この「出家」という唯一の解決策は、『源氏物語』の浮舟の出家を思い起こさせる。
軍記物は中国にはすでに存在し、琵琶法師が琵琶の演奏に合わせて物語を語っていた。これは現代のラップに似た要素があり、その意味で『平家物語』にはサブカル的な側面があると言える。